過激な描写のあるポルノ作品に出演する女優。類義語に「AV女優」があるが、日本と海外では意味が異なる。
海外の場合
いわゆる「ポルノスター」のこと。国にもよるが、日本のようなポルノ作品の区別がない場合が多いため、本番行為の有無などを考えると日本で言う「AV女優」とほぼ同義である場合が多い。
日本の場合
日本においては歴史的に、成人映画の中でも大手映画会社5社が制作した物が「ポルノ映画」、独立系の中小映画会社が制作した物が「ピンク映画」とされていたのに対し、はじめからオリジナルビデオ向けに制作した物が「アダルトビデオ」と呼ばれていたため、「ポルノ女優」「ピンク女優」と「AV女優」は全く異なる職業である。
五社協定の時代は俳優は映画会社に専属であったため、ポルノ女優も大部屋女優の一部であり、そのまま一般女優になることも容易であった。1960年代後半の「東映ポルノ」や1971年の「日活ロマンポルノ」が成立して大手映画会社がポルノ映画に本腰を入れるようになると、ポルノ映画出演の経歴を隠すようになったが、それでも映画女優であることには変わりが無い。
ピンク女優はポルノ女優よりは格下である物の、映画女優であることに変わりは無い。1950年代からお色気作品は造られていたが、1960年代に専業のピンク映画会社が複数成立。ピンク映画は低予算・早取りというアメリカで言うB級映画に近く、多数の作品が作られた。1970年代以降になると、ピンク女優やピンク映画監督が大手映画会社に引き抜かれることも多くなったが、ピンク映画業界も整理され対抗していた。1970年代末には大手映画会社が一本立て興行に移行したため、「東映ポルノ」は業界から撤退する(ただし、その系譜は東映セントラルから東映Vシネマに受け継がれている)。
しかし、1980年代後半になると簡単に撮影でき、レンタルビデオ店で気軽に借りることのできるアダルトビデオが台頭し、ポルノ・ピンク映画業界は窮地に立たされる。「日活ロマンポルノ」は人気のピンク女優やAV女優を多数引き抜く物の縮小は止まらず、1988年に撤退し、日本のポルノ映画はその流れを汲む単発作品を除き消滅した。ピンク映画業界も縮小していくが、Vシネマなどに主戦場を移していった。
ポルノ・ピンク映画はあくまでも映画のジャンルの1つであり、任侠映画や実録映画などと併映されることも普通であった。ピンク映画がベルリン国際映画祭に出品されたこともある。一方、アダルトビデオは映画業界とは隔絶され、成人映画のような演出や演技力は無くなっていき、本番行為を始めとする性行為の描写が中心となっていった。そのため日本独自の分野として発展し、アジア圏でも注目を浴びるようになっていった。