概要
1983年4月から1985年9月まで、TBS系列局などで放送された。アニメーション制作は日本アニメーション。
放送当時はそれこそ贅沢品だったパソコンの中から現れた不思議な生き物・ミームが、科学にまつわることを、子供でもわかりやすく説明する、という内容の番組(テレビアニメ)だった。
スポンサーが電電公社→NTTなので、電話や通信にまつわるネタがしばしば放送されていた。
番組開始からの1年間と、その後終了までの1年半とでは、登場人物や番組路線がかなり異なっていた。
しかしこの番組、40年くらい前の番組だというのに、電話回線とパソコンを組み合わせた様々な可能性を提案していたわけだから・・・・・・恐ろしい話である。
1985年に開催された国際科学技術博覧会(科学万博つくば'85)に関しては、特別番組として会場中継を放送しているが、この時は実写であった(生放送だったので仕方がない面はあったが)。また、前年の1984年には会場パビリオンを案内する回が放送された。当時はもちろん今日のようなインターネットはなかったが、電電公社から変わったNTTのINSという通信システムが、NTTのパビリオン名に冠された(でんでんINS館)。「ミーム」そのものが、NTTの通信システムの宣伝番組という性格をもっていたため、マイクロコンピュータ(パソコン)と電話回線をつないで、一種のテレビ電話がよく使われる未来社会が作品の背景になった。
ところで・・・・・・・・・・
ミームは社会学上の学術用語である。生物学のDNAを日本語訳した「遺伝子」になぞらえて、「模伝子」と呼ばれることもある。現在のIT 用語「コピー・ペースト」がまさにミームの本質を言いあてている。すなわち、情報は常にコピー可能で、しかも貼り付けが容易なため、伝播のスピードが速い。俗に、「悪事千里を走る」というが、その情報がゴシップで興味をそそる内容であればあるほど、あれよあれよという間にゲログチョ化した怪物になってしまう。
ここが知識と情報の決定的なちがいで、アニメでは子供に「怪物化」したゲログチョを与えるわけにはいかないため、科学教養番組という堅苦しい衣装をまとうことになった。いつの世でも、面白くてためになる、というのはウソで、ためにならないものほど面白いと、至極当然な事実を逆証明をしていたのが、この「ミームいろいろ夢の旅」というアニメの本質だった。
ミーム・アニメの本放送は1983年4月、それから50話を一区切りして、第2シリーズというべき新シリーズに入る。50話ということなら、1年毎日曜放送してほぼ50回なので、これはおそらく翌85年の科学博を見越しての刷新だった。1983年は、YMOの「以心電信」がテーマ曲となった国連の「国際コミュニケーション年」で、翌翌年の85年つくば'85をにらんだ番組改編だったことは明らかである。
第1シリーズが兄と妹相手にミームが科学蘊蓄を披露するというプロットだったので、コミュニケーション年以降はご近所付き合いを意識して、登場キャラクターを一新、町の弱小野球チームのメンバーが、コンピュータ・ネットワークを利用するという設定に変わった。
第1シリーズの大助、さやかは、当時(1980年代前半)の子供につけたい名前で上位だった。第2シリーズでは、大空サトルと大空マミ、光男、博士(ハカセ)、武(タケシ)など、キラキラしていない、比較的平凡な名前が並ぶが、ひろ子という少女は、フルネームが薬師寺ひろ子。当然、当時空前の人気だった薬師丸ひろ子を意識した名前だった。
声優についてつけ加えると、ミーム役の藤田淑子は、当時ベテランの域に達した演じ手であり、大空さとるの山田栄子は、「赤毛のアン」などのブレイクで多くアニメ作品に出演していた。その他、小宮和江、青木和代、神保なおみ、室井深雪、原えり子、坂本千夏、頓宮恭子など、1980年代に活躍した声優を多くフィーチャーしている。制作の日本アニメーションがかなり好調だった時期と重なって、作りはかなり高度な水準をたもっていた。
ミームのデザインはおそらく関修一だとおもわれる。第1シリーズのキャラクターデザインは関修一で、第2シリーズからは坂巻貞彦が担当している。丸い顔に衣服をつけない体、両手は長い髪の毛なのだから、よくよく見ると不気味であるが、見慣れれば何ともない。不潔なのを嫌うハカセに髪を丸洗いされることもあった。
音楽担当は渡辺岳夫、オープニングとエンディングの作曲も手がけた。
ところで、今から40年ほど前の時点では、もちろんインターネットはなく、パソコン通信も発展途上だった。
そもそも「パソコン」という言葉さえなく、グローバルな情報よりは、地域のコミュニケーションに重点が置かれた。
このアニメがえがいた近未来の通信社会とはまったくかけ離れた情報社会にいる私達と、ローカルコミュニティが充実したアニメの仮想社会の子供達と、どちらが幸せだろうか。