概要
モンテカルロの銀行を破った男(The Man Who Broke The Bank At Monte Carlo)とは、劇場の代理人だったフレッド・ギルバート(1850-1903)によって1892年に発表したイギリスの流行歌である。
ギルバートは、モンテカルロのカジノで「銀行を破った」男であるチャールズ・デヴィル・ウェルズという詐欺師からヒントを得て作曲した。
この軽快な曲は歌手でコメディアンとしても活躍したチャールズ・コボーンによって広められて、世界中のさまざまな言語で1890年代からコボーンが亡くなる1940年代まで25万回以上も歌っている。
なおギルバートはその後の作曲で同等の成功を収めることはなく、1903年に結核によって困窮して死亡した。
「銀行を破った」とは?
「銀行を破った」または「銀行を破る」とは、ギャンブラーがカジノの特定のテーブルに保持されている準備金よりも多くの金を獲得したときに使用する表現である。
1890年代のモンテカルロのカジノでは営業前に10万フランの現金準備金(「銀行」として知られている)で資金を供給された。この準備金が賞金を支払うのに不十分である場合、カジノの金庫から追加の資金が持ち出されている間そのテーブルでのプレーは中断した。プレーの中断中にはカジノの最初の所有者だったフランソワ・ブランの発案で黒い布が問題のテーブルの上に置かれ、成功したプレーヤーは銀行を破ったと言われた。しばらくすると、テーブルが再び開いてプレイが続いた。
前述のチャールズ・デヴィル・ウェルズは30回中23回も「銀行を破った」ため新聞からモンテカルロ・ウェルズと呼ばれた。