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チャールズ・コボーン

ちゃーるずこぼーん

 チャールズ・コボーンはイギリスのミュージックホールの歌手でコメディアンとしても活躍した人物である。
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概要編集

チャールズ・コボーン(Charles Coborn)とはイギリスの歌手であり、映画でも活躍した人物である。薄暗いガス灯で照らされた1870年代のミュージックホールから1940年代の映画の出演で終えた長い経歴の中でTwo_Lovely_Black_EyesとThe Man Who Broke The Bank At Monte Carloの主なコミックソングで知られていた。

ヴィクトリア朝を代表する歌手だが、現在では英語圏ですらアメリカの俳優であるチャールズ・コバーンと間違えられることがある。

経歴編集

1852年8月4日にロンドン東部のステップニーで生まれ、コリン・ホイットン・マッカラムと名付けられる。

1866年に学校を辞め、就職するが長くは続かず、やがて演劇などに興味を持ち1872年にミュージックホールでデビューする。当初はチャールズ・ローリーとして登場するが友人の提案でマイルエンドのコボーン・ロードから名前をちなんで、チャールズ・コボーンの芸名に変更した。

正式に音楽の教育を受けていなかったが、アメリカの曲であるMy Nellie's Blue Eyesから自分で歌詞を書き直したTwo Lovely Black Eyesはかなり人気があり、原曲が忘れ去られることになった。

モンテカルロの銀行を破った男を1891年に劇場の代理人だったフレッド・ギルバートから10ポンドで購入し、翌1892年にはイギリス本国やアメリカでもヒットソングとなり、楽譜が飛ぶように売れた。(録音技術が発達していないこの時代の流行曲の基準は楽譜の売れた量で決まっていた)

コボーンは後に自伝の題名に使うほどこの曲を気に入ったが、実は当初は歌う気がなかった。しかしコーラスが頭から離れないことに気付き、考えを変えて世界中のさまざまな言語で演奏し、広範囲にツアーを行った。

 また完全には受け入れられなかったが、1885年に音楽ホール芸術家協会を結成し、後に音楽ホール慈善基金を主導した。第一次世界大戦以降は多くの慈善活動を行い困窮したミュージックホールの芸人達を助けようと取り組んだ。

 彼は1943年に映画「バラエティ・ジュビリー」で出演するなど90歳を過ぎてからも活動を続け、現役最古のコメディアンと呼ばれた。(余談になるが、1940年当時のイギリス人男性の平均寿命は66歳頃だった)

 1945年11月23日に93歳で亡くなり、翌日にはニューヨークタイムズでもその死が報じられた。

 彼は妻や娘と共にロンドンのブロンプトン墓地に埋葬されている。

 

リンク編集

1934年82歳の時の映像曲は彼の代表曲であるThe Man Who Broke The Bank At Monte Carlo

同年の映像で曲はTwo lovely black eyes

1936年の映像で曲はE's Alright When You Know Him

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