下校時刻の哲学的ゾンビ
げこうじこくのてつがくてきぞんび
放課後、居残り勉強をさせられている少女・「大朋」は、特に深い意味も無く「消えたい」とつぶやく。そんな大朋の前に「龍野」という少女が現れ、キャラメルのようなものを差し出す。龍野によればこれは毒薬で、服用した人物の意識のみを殺す事ができるという。ただし服用後も普通の人間と同じように動いたり話したり笑ったりできるため、誰にも気づかれる事なくひっそりと死ねるという。
そんなことありえないと思いつつも興味を抱き、薬を服用する大朋だが、案の定自分の体に変化はなく、冗談である事に気がつく。実は龍野は、前日に先輩に同じ手口でからかわれ、その時にもらったキャラメルが一つ余っていたため、大朋をからかったのだという。その後、大朋は龍野と共に下校する。
上記のあらすじだけを見ると一見なんの変哲もない物語に思えるが、実はこの物語には恐ろしい真実が隠されている。
この漫画は基本的に3コマで構成されているが、それぞれのコマの役割を図で表すと以下のようになる。
コマ(A) | コマ(B) | コマ(C) |
---|---|---|
大朋の視点 | 状況を表すコマ | 龍野の視点 |
これを踏まえると、龍野の視点を表すコマ(C)が最初から最後まで真っ暗になっており、大朋の視点を表すはずのコマ(A)が薬を服用したシーン以降真っ暗になっていることから、龍野の意識は登場時点で既に存在しておらず、大朋の意識も薬を服用した事により消滅している事がわかる。
タイトルにもなっている「哲学的ゾンビ」とは、1990年代にデイヴィッド・チャーマーズによって考案された思考実験の一種である。
「客観的観測が可能なありとあらゆる物理状態に於いて普通の人間と区別できないが、意識(クオリア)のみが存在しない人間」として定義された架空の存在である。
この漫画で龍野が説明しているとおり、確かに生命活動をしており、言語能力や感情を持っているにもかかわらず、自分としての意識が存在しない人間という意味であり、つまりは「その存在を客観的観測の上でしか認識できない状態」の人間である。