プロフィール
誕生日 | 7月11日(『プロ野球篇』以降の設定では1974年生まれ) |
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血液型 | A型 |
身長 | 180cm |
体重 | 75kg(プロ一年目) |
経歴
CV:森功至
捕手、一塁手で、右投右打の野球選手である。愛称は「闘将」。怒った時の口癖ば「ばかやろう!」
かなりの強肩であり、明訓監督時代の弁慶戦の前に、打撃投手として150km/hの球を投げたことがある。山田太郎の世代より2つ上となる。
山田が入学する前の明訓で強肩強打の正捕手として君臨していた。山田が入部した時は鈍重な山田のことを「一昔前の捕手だ」といって洗濯ばかりさせていたが、試合で山田が能力を発揮した後はその力を認めて捕手の座を明け渡し、一塁手に転向。4番バッターとして活躍した。
入部当初の山田を疎んじてバットで山田の腹を思い切り突いたり、「おれぐらい野球センスがあるとどこを守っても一流よ」とうそぶきながら結局一塁手に落ち着いたりと、ネタ要素もいくつかある。
卒業後は徳川監督の後を受けて明訓の監督に就任。やや激しやすい性格が欠点になることもあったが、闘志あふれる指導でセンバツ優勝を果たす。監督をしている時にドラフト会議で日本ハムファイターズから一位指名を受けるも大沢監督には「明訓が負けたらお世話になります」と返答した。
その後、明訓が弁慶高校に敗れると監督業を大平監督に譲り、日本ハムに入団。日本ハムでは捕手として活動している。
東京スーパースターズで再度同じチームになった時も、山田を軸として主砲の座に据える方針は変えなかった。