概要
日本では切腹したのは男性だけと語られることが多いが、女性もしていなかったわけではない。作法は男性の物に準ずる。ただし女性に対する刑罰としての切腹は(一部の地域を除いて)存在しなかったため、介錯人を自分で選ぶか一人で切るかの二択になる。
女腹切の歴史
古代~鎌倉時代
奈良時代に編纂された『播磨国風土記』を信用するなら、日本では記録上最初に切腹したのは女性ということになる。この後しばらく切腹に関連する記述は歴史書では見られなくなる。
次に出てくるものとしてあてにできるのは『高時並一門以下於東勝寺自害事』がある。こちらには総じて283人の一族の人間が我先に腹を切ったとある。
室町時代~戦国時代
このあたりの時代になると、切腹の作法もある程度固まっており、男女問わず誰が腹を切ったかも記載されるようになっていく。女性の切腹の事例として有名どころを挙げると今参局あたりだろうか。もう少しマイナーな人を挙げると上杉禅秀の死後に切腹した彼の妻、切腹の意図の有無は定かでないにしても上腹部に刀を突き立て果てた北条夫人などが挙げられる。
江戸時代
この時代になると、切腹が「自殺の手段として腹を切る」という目的よりも「武士が名誉ある処刑方法として行うもの」という認識が強まったことや、女性が腹を切れると知れれば封建体制における男女関係の差を立証するすべがなくなるということも合わさり、「切腹は武士(つまり男性)だけが行うもの」とされるようになった。しかし実際には大名や武士の妻、別式女などを中心に女性が切腹した事例がいくつか確認されている。
明治以降
明治以降の日本では江戸時代とほぼ変わらない男女の立場関係があってか、女性が切腹した事例は非常に少ない…のだが、第二次世界大戦が終戦間近になった頃に、女性が自らの貞操や名誉を守るため、あるいは戦勝祈願のために切腹をしたという事例がいくつも確認されている。
戦後にはエロスとしての切腹が特定層で注目されるようになり、『奇譚クラブ』などで女性が切腹する写真や小説がいくつも作り出された。
余談
中国にも「凌辱を避けるため」や「人の肝には強い生命力が宿っているからそれを病人に与えて回復させる」という理由から切腹を行った女性もいる。
関連タグ
東郷美森 - 未遂ながらアニメ内で切腹しようとした。