おお来たか来たか
いや気にするな
眼が二つでは詮無いことよ
概要
相模は丹沢の大神。かつてはエビスにより奉られる。(作中の小角らの時代においては、氏子が未だ描かれていないため不明)峠鬼の作中に登場する大神の一柱。
エビスにはアンイグンスクとも、倭人には妟尹石(アンインセキ)と呼ばれ奉じられる。
役小角からしても気の遠くなるほど昔(少なくとも国譲り以前)から存在しており、神在の出雲にあってはすっかり古参といった風情。他の大神らと比べ老人のような姿となっている。
かつてはキップソン(切風孫命)と争っていたが、互いの氏子の死者数が増えるにつれ休戦。以降は貿易などで交流を図るようになり、役小角の時代にあっては旧知の仲という様子である。
神在の出雲においては赤髪をなでつけたオールバックに洒落た2way丸眼鏡を掛ける気風のいい好々爺であるが、自らの社においてはアラゴグを思わせるような大蜘蛛。肢の先がヒトの手のようになっており(ただし指の数は六本)、その手で自在に物を扱う。切風孫命にたびたび神器の修復を依頼されることからも、非常に器用であることが窺える。
暮らす社には物好きな性格によってか雑多な物が集っており、懐中時計やビーカー、筆や書物がある。また、そのような小さな物は棚に整頓されているが、どこから降りているともしれない蜘蛛の糸によりぶら下がっている物も多い。人工衛星やロケットなど、明らかに作中の時代には存在しないものも吊るされているが‥‥‥?
性格
陽気、非常にフランクであるが神威を蔑ろにする輩には厳しく接する。
主人公ら一行に対しても気さくな様子であるが、自らの神器に懐疑の目を向けられた時には怒りを露わにした。(「おぬしといえど吾、激おこも辞さんけど?」)
面倒くさがりな一面もあり、出雲での会合をサボりがち。
かつては(特に切風孫命に対して)喧嘩っ早いところがあったが、すっかり落ち着いている。
旧知の仲である大国主には頭が上がらないらしく、作中では会合のサボりを咎められ渋々といった様子で大国主の社に赴いていた。
神器
神器錄によれば(※評価は甲を最上とし以下、乙、丙、丁、戊とする)
御名 四眼香
希少性 甲
利便性 丁
危険性 乙
秘匿性 乙
愉快性 丙
■■所有 東宮
注釈
多くの細工が施された香炉。
遠く昔に妟尹石神から朝廷へと渡ったらしい。
たちこめる香煙は、聞く者の夢見を彩る。
作中では役小角を介して、御門より妟尹石に返還される。
聞けば二度と目覚めぬ香として、朝廷では暗殺に用いられていたというが‥‥‥?
※以下、ネタバレ注意
主人公らのことを「人の仔」と呼び「眼が二つとは哀れなものだ」と口にするが、これは妟尹石が通常の眼とは別に着脱可能な眼を二つ持ち、それらを付け眼四つとなった時、過去や未来を含めたさだめを見ることが可能なためである。この時の妟尹石には「かつての役小角の物語たる『峠鬼』を読む読者」もまた見えており、それゆえ時折読者に呼びかけるようなメタ発言を行う。
また、その眼ゆえに作中世界に対しても非常にメタ的な視線を投げかけることが可能な大神の一柱であり、自らが『峠鬼』で果たす役割については「さだめとあらばだ」と大神らしい鷹揚さで受け入れている。
その神器である「四眼香」は妟尹石のそうした性質を現してか、ただの香のように夢見をよくするのみならず、志あるものが使えば望む過去に赴くことが可能なようである。神器錄には以下のような注釈が続く。
夢とは此岸とも彼岸とも違う場所。
虚実は混淆し、何一つ定かではない。
あるいはさだめも。