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概要編集

後梁初代皇帝(852〜912)。黄巣の乱の際の戦功で唐より全忠の名が下賜され、後に唐を滅ぼしてと名前を改めた。晩年は行状が乱れて最期は息子に暗殺された。


朱温は宋州碭山県(現在の河南省商丘市)の午溝里に儒学を教えていた朱誠(朱五経と称された)の三男として生まれる。家は貧しく少年時代に父を失ったため、2人の兄と共に母の王氏に連れられ親戚にあたる蕭県の富豪の劉崇の家で畑仕事をしていた。


だが朱温は畑仕事など平凡で退屈な仕事と頭から馬鹿にして少しも精を出さず、武術に興味を示し独学で棒術や拳法の腕を上げて「ごろつき朱三(朱家の三男の意)」と呼ばれたという。


また朱温は気性も荒く、里人の多くに嫌われ主人の劉崇からはたびたび杖や鞭で咎めを受けたが、劉崇の母だけは高く評価し常に庇ったという。


874年に黄巣の乱が起きると、次第に頭角を現していった。


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  • 李克用⋯独眼竜。朱全忠と争った。

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