概要
香の前(1577~1641年1月13日)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した女性。
人生
天正5年(1577年)、高田次郎右衛門の長女として誕生。
香の前とは通称で、本名は種。
その美貌を見初められた豊臣秀吉の側室となり、その後賭け囲碁で勝った伊達政宗に下賜され、二人の子を産んだ後、茂庭綱元に下げ渡され側室となる。
生涯で三人もの有力者の側室になった。
政宗との間に出来た二人の子は茂庭綱元の子とされ、息子の又次郎は亘理氏の入り婿となり亘理宗理と名乗った。
伝承
最も広く伝わる説話は、最初に秀吉が茂庭綱元に香の前を下賜したのだが、香の前の美貌に惚れた政宗が彼女を奪ったというものであるが、書籍によっては政宗の元にくるまでの経緯が違っており、はっきりしたことはわかっていない。
娘の津多が産んだ嫡男の宗輔は、後の伊達騒動で有名な原田甲斐である。
浄土宗の熱心な信徒であった香の前は、1612年綱元に願い出て茂庭町に円鏡寺を開基した他、猿飛来に青雲地蔵堂を建立、1613年には大崎八幡宮に金灯篭を奉納している。
晩年
政宗の五男・伊達宗綱が16歳で亡くなると、供養のために高野山に綱元と共に赴き、宗根の高清水城に受け入れられ、これ以後香の前はここで余生を送った。
1641年1月死去。享年64。