概要
1964年7月2日生。神奈川県に生まれ札幌市で育つ。
大学受験に失敗した後上京してフリーター生活をし、アジアを渡り放浪。
ジャーナリスト橋田信介の弟子となり、戦場カメラマン・ライターとしてデビューする。
東南アジア地域を主に取材するが、悲惨な現場のトラウマから酒に溺れるようになりアルコール依存症のきっかけになった。
タイで仏門に入り「ピーニャソーダ」の名を得た。
1996年、タイの取材企画で西原理恵子と出会い間も無く結婚、2児の父となった。
西原の作品にも「鴨ちゃん」としてよく登場し、夫婦の共作もあった。
しかしアルコール依存症は悪化し、妻の西原にもDVやモラハラを働くようになり、西原以外のライター仲間達にも度重なる暴言で絶交されたりする有様だった。
2003年にはついに西原とも離婚するが、その後病院で依存症の治療プログラムを受ける。
西原とは退院後に事実婚の形で復縁したが、その時すでに腎臓の末期ガンに侵されており余命わずかであった。半年間西原と子供達の元で療養生活を過ごしたのち、2007年3月20日に平滑筋肉腫で死去。享年42歳。
最期の模様は西原のインタビューや著作でも明かされているが、「子供達を傷つけずにすんだ。人として死ねることが嬉しい」と言い残していたという。
主な作品
- 日本はじっこ自滅
- 酔いがさめたら、うちに帰ろう。
アルコール依存症の治療を受けていた時のことを書いた自伝的小説。映画化もされた。
- 「アジアパー伝」シリーズ
西原との共作シリーズ。