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流星改の編集履歴

2014-02-08 11:13:16 バージョン

流星改

りゅうせいかい

急降下爆撃機と雷撃機の特性を同時にあわせ持つ艦上機。愛知航空機によって開発され、まさに狙い通りの高性能を示す。だが完成するころには空母はあらかた喪失しており、とうとう艦上機として活躍することは無かった。1個飛行隊だけが装備し、生産数も100機あまりと少ないが、のちに同様の機が戦果を挙げたことを考えると、狙いどころは決して間違っていなかった。型番は「B7A」、米軍コードネームは「グレイス」。

本機はB7A1「流星」として設計されたが、生産にあたって設計に手が加えられた。

この手直しは機体全体にわたったため、改善された生産型ではB7A2「流星改」と名前も改められたという。この話には異説もあり、実際に変更された点は僅かで、B7A2「流星改」とは後の改良型の事を指すとする説もある。

(生産された流星はもちろんB7A1となる)


活躍の場に恵まれなかった本機だが、のちの戦争ではアメリカの同様コンセプト機が戦果を残している。「流星」の狙いは決して間違っていなかったのだ。いちおう「艦上攻撃機」(雷撃機)扱いにされてはいるが、実際には急降下爆撃機もこなせる優等生である。



急降下爆撃機と雷撃機

太平洋戦争の開始からも科学技術はますます発展し、急降下爆撃機の搭載できるような小型の爆弾では、防御力の上がった敵の主力艦艇(戦艦など)の前には通用しない事態になりつつあった。これに対抗するためには更なる大型爆弾が必要であり、そうなると機体が耐えられるように強度や出力を上げる必要があった。


雷撃機の方でももっと機敏に動き回り、敵艦の弱点を精確に狙えるように、あるいは逃げ回れるよう、機体強度や出力を増す必要に迫られていた。


この求められる二つの要件、つまり

・機体をふり回せる高い強度

・より大きな兵器搭載量

は共通したものとなり、ここに両者を統合して同じ機体でこなせる事が求められた。


こうして昭和16年(1941年)、愛知航空機で「十六試艦上攻撃機」の開発が始まった。


流星の特徴

搭載能力

機内に爆弾倉を備えており、ムダな空気抵抗で性能を落とすことはない。これはTBF「アベンジャー」にも共通する特徴だが、流星は魚雷を機外に搭載しなければならない制約(=爆弾倉が小さい)がある。それでも性能は九七式艦上攻撃機を大きく上回っており、さらに大型の魚雷を搭載することが出来る。魚雷の最大搭載能力は1060kg。


また急降下爆撃機としても、従来の九九式艦上爆撃機を上回る。

従来機の標準だった250kg爆弾なら2発搭載できる。さらに大型の500㎏爆弾や800㎏爆弾を1発搭載でき、この状態でなんと急降下爆撃にも対応できるのだ。


エンジン

紫電改四式戦闘機と共通の「誉」(12型)を搭載している。

この大馬力エンジンこそが、4t近い重量級機体を「万能機」たらしめる秘密である。


初期モデルでも1850馬力を発揮しており、これは従来機の約2倍の出力となった。

この余裕のおかげで、それまで省略されていた防弾にも配慮されるようになり、(とくに日本の艦上攻撃機・急降下爆撃機として)はじめて標準で防弾装甲が付けられた。


防弾装甲

ただでさえ重い魚雷を搭載し、おまけに1000馬力級のエンジンでそれを実現するとなると、重いだけの防弾装甲は忌避されていた。さらに艦船に搭載される対空砲はおおむね威力が大きく、多少の防弾装甲では性能を落とすだけで無意味という考えも理解できない訳ではない。

(20㎜を正面から直撃すれば墜落は免れないし、40㎜級ならば言わずもがな)


空力

非常に特徴的なのが「逆ガル翼」である。

この採用により中翼配置であるにも関わらず、車輪を短く(軽く)仕上げることが出来た。


逆ガル翼といえばF4Uが想起されるが、こちらは新機軸が裏目に出て「艦載機としては不適」と判定されてしまった。流星も同様だったかどうかは明らかでないが、(要求仕様では)低速での離着陸性能も求められていたので、そこは上手くクリアしていたのかもしれない。


着陸装置(車輪)

機体は軽ければ軽いほどよい。

飛行中はまったく何の役にも立たないデッドウエイトなので、設計者にとってはいっそ、無くしたいものでもある。事実、Me163はソリで代用いているし、XF-85などは着陸装置の類がまったく存在しない。


固定武装

最後尾の乗員が7.7mm機銃あるいは13㎜機銃を受け持つほか、主翼に20㎜機銃を装備している。前方銃という事で戦闘機への対抗が想像されるが、爆弾や魚雷を投下する前は鈍重なので不向きな使い方である。本領はそのあとに目標を機銃掃射するという使い方だと思われ、攻撃に選択肢を増やしている。


もちろん、相手もそれなりに鈍重なら使いでもあり、例えば索敵任務で敵索敵機と遭遇した際などは威力を発揮したことだろう。


過ぎ去りし流星(改)

とはいえ、その登場は遅すぎた。

生産が始まる頃には空母はほぼ全滅しており、わずかに残る艦上での写真も、訓練の際に撮られたもののみ。(しかも、その空母も間もなく戦没)生産も試作機を含んで114機にすぎない。


このような数では本格的な飛行隊編成などもおぼつかず、編成された第七五二海軍航空隊(の攻撃第五飛行隊)も本土決戦に備えて温存されていので活動は低調だった。45年5月からは木更津より空母機動艦隊に向けて数度の出撃があったようだが、戦果も定かではない。


なお、よく勘違いしてしまうのだが、流星は11.5m×14.4mと、かなり大型な機体である。

目線の高さでは主翼の大きさがよくわからないので、そのあたりを見誤ってしまうのだろう。

(ちなみにゼロ戦では9mと12m)

エンジンが紫電改と同じでも、胴体の方が大きいおかげかあまり大きく見えないのだ。


なにかと直線基調なアメリカと違ってスタイルは流麗で、松本零士は作中で『異世界から飛んできた、美しい鳥のよう』(「流星 北へとぶ」)と表現している。実際に流星はTBFと違って設計者の美意識すら感じさせるような曲線で構成されており、米軍コードネームも「Grace」、日本語でいうところの優雅・優美を意味している。


流星は1機のみが現存しており、現在はアメリカ、スミソニアン博物館(の倉庫)に1機が分解された状態で保管されている。いつの日かレストアされるその日を楽しみにしていよう。

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