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大和型戦艦の編集履歴

2014-06-13 19:29:13 バージョン

大和型戦艦

やまとがたせんかん

大日本帝国海軍が有した戦艦のうち最後の艦型。

ここでは史実での大和型戦艦について取り扱う。

艦隊これくしょん』に登場する大和型はこちらへ。


概要

大日本帝国海軍が建造した戦艦の最新最後の艦型

基準排水量65,000t、主砲口径46cmともに世界史上最大の戦艦。

軍事的に「戦艦」の存在自体が過去の遺物として消え去った現在、おそらくは今後とも破られることはないだろう。


そもそもは1934年の時点で竣工から20年近く経った戦艦長門戦艦陸奥の後継艦と、旧式化しきった扶桑型戦艦金剛型戦艦の代替を兼ねて、新世代戦艦として計画が開始された艦型である。日本海軍は本型を次世代戦艦のスタンダードとなるベース艦として設計していた節があり、実際に1940年代を迎えた頃に大和型をベースとする改良発展型が数種ほど計画され、砲の試作まで進んだ。当初の計画では最終的には本型を5隻揃えた後、改良発展型3隻を連合艦隊中核に添え、戦艦戦力を新世代艦で統一する計画であったという


なお、一番艦の名で検討された『大和』の対案は『飛騨』であるとの噂が言い伝えられ、最終的に大和に決まったという。


飛騨だったら牛になってしまう……


こうして、開戦前に4隻が起工したが、急激な空母戦力の発達により戦艦の存在意義が薄れた(空母が主戦力となるのを日本海軍は見抜いていた)ため、当初の計画通りに竣工したのは1番艦大和と2番艦の武蔵の2隻。また、3番艦の信濃は建造途中で航空母艦へ改装され、4番艦は進水もすることなく建造中止となった。(資材は伊勢の航空戦艦化や損傷艦の修理用に転用された)


大きさばかりでなく装甲の厚さ(想定より装甲厚があったと言い、自身の主砲に耐えてなお余りあるレベルであった)、運動性能等においても最高レベルを達成した一方、一度動けば莫大な燃料を消費すること(ただし、それでも大型艦の割には低燃費であったという)、海軍側の戦略として温存されたこと、そもそも太平洋戦争自体が航空戦力主体に移行し艦隊決戦の機会自体を逸したことで、ほとんど実戦で真価を発揮できないまま、戦艦として就役した両艦はいずれも航空攻撃により戦没。空母へ転身した信濃は就役後わずか10日で回航中に撃沈されてしまう結果となった。姉妹艦のすべてが航空機や潜水艦などの戦艦に代わる新世代の技術で引導が渡されたため、日本では大和の沈没を以って、戦艦が主役とする大艦巨砲主義思想に止めが刺されたとされる場合が多い。



悲劇的最期のあとで


当時は日本海軍最高軍機として扱われたが、軍が解体され、情報開示された戦後はその造形美と、世界最大最強の箔に相応しい活躍の場を得られず、姉妹艦のいずれも悲劇的最期を迎えた事などが日本人の美学にしっくり来たらしく、戦後はフィクションで頻出する。SFアニメ宇宙戦艦ヤマトに始まり、90年代に流行した仮想戦記に至るまでの常連となって生き続けた。現在では、一般人にも栄華を誇った旧日本海軍の悲劇の象徴として認知されるに至った。


戦後ではその設計が保守的(連合艦隊旗艦として作られたためと、設計に携わった平賀譲技師が保守的な人物だった)ために批判に晒される事も少なくなくなったが、設計に携わった当事者達は『自分達は世界最高レベルの戦艦をできるだけコンパクトにまとめたんだ!と自負していたそれを留意してほしいものである。


言わば、戦艦三笠を日本海軍の栄光の象徴とするなら、大和は日本海軍落日の象徴と言えるだろう。



同型艦

一番艦・大和 二番艦・武蔵 三番艦・信濃(→航空母艦へ改装) 四番艦・111号艦(未成)


関連タグ

戦艦 大日本帝国海軍

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