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賈充の編集履歴

2014-08-15 23:25:43 バージョン

賈充

かじゅう

賈充は、中国の魏から西晋の武将・政治家。字は公閭。魏の滅亡に貢献し、晋の建国に貢献し、同国の滅亡に貢献した人物。

概要

(217年〜282年)


司馬氏の腹心。西晋衰退のきっかけである八王の乱を引き起こした賈南風の父。

毌丘倹文欽の反乱時、司馬師が急死した後の軍を監督。

司馬昭の命令で諸葛誕の様子を窺うために使者に赴き、諸葛誕に叛意があることを司馬昭に報告する。

魏の皇帝曹髦が司馬氏から実権を取り戻そうと挙兵した際に、部下成済に命じて曹髦を殺害。


晋成立後、司馬炎にも仕える。同様に貢献した羊祜荀勗・裴秀・王沈らとともに、功臣として賞賛され賈充の功績は筆頭に挙げられた。

晋の時代になると要職である司空・尚書令等を歴任。

呉征伐には執拗に反対したが、総指揮官を任され杜預達の快進撃もあり、結果的に成功した。

その後、政敵を排除したり、賄賂を駆使して晋での地位を揺るがないものとした。


魏の滅亡に加担し、皇帝殺しという大罪を犯しておきながら無罪放免。それどころか、晋の成立に貢献したとして政治の中心に関わり続けたなんとも恐ろしいヤツ。

だが彼の死後、その晋も娘(賈南后)が原因で滅亡の道を突き進み、賈氏も一族皆殺しの末路を辿る。


彼自身は天寿を全うしており、諡(おくりな)は「武公」(当初の諡は余りよろしくないものであったが、司馬炎の一言によって「武帝」に変わったらしい)。


皇帝殺しの詳細

賈充は成済に「あとから罪には問わない」と約束し、成済に皇帝曹髦を殺害させた。

しかしその後、司馬昭は皇帝殺害は自分の意志ではなく、成済の単独犯であるとして、成済の三族皆殺しを郭皇太后に上奏。

対して陳泰は賈充を皇帝殺害の罪で極刑にすべきと司馬昭に訴えたが、結局は実行犯の成済が罪を被せられ処刑され、賈充は何の罪にも問われなかった。

成済は兄と共に悪口雑言を言い散らしたが、矢で射殺され、後に三族皆殺しとなった。


真・三國無双シリーズ

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賈充


「踊り狂え…、そう、それでいい…」

「任せておけ、こういった事は、お前より俺の方が得意だ…」


CV:高橋広樹

得意武器:舞投刃


「7」より参戦。勢力にて登場。

王元姫と共に実際に晋王朝成立まで存命であり、上記の史実同様に多大な影響を及ぼす存在。

司馬師司馬昭に仕えているが、

司馬昭とは友人であるという設定らしく、敬語を使わずタメ口で話す。

呼び方は、彼の字である「子上」(当時では相当仲が良くなければ出来ない呼び方である)。


史実通りであれば、王元姫と同い年(二人とも217年生まれ)であるためか、

司馬昭を見守る同士として、彼について会話するシーンなどもある。


上記の通り、史実通りならかなりの悪党じみた立ち回りをするが、

IFルートに進むと、司馬昭を支える中でさりげなく心配していたりと、なかなかいいキャラになっている。


司馬昭の「めんどくせ」や情じみたところを静かに諌める事も多いが、

いち早く彼の秘めた才能を認めており、それを魏や天下を収める器に至らしめることを目的として暗躍を始める。

己のためではなく彼のために暗躍している所に、単純な悪人ではなく奇妙な美学がある人物として受け取れる描写である。


また司馬一族が「馬鹿め」「凡愚」とよく言う相手に、彼は「無能」と言う言葉を使う事が多い。

(史実で彼を取り立てていた)大将軍曹爽などは完全にこう呼んで見下していたりする。

余談ではあるが、上着の下はノースリーブなインナー。「上着を脱ぐと爽やかになる」と評判。



キャラクターのコンセプトは、司馬昭の『光』に対比する『闇』。

まさしくのストーリーの影で暗躍し続ける存在だが、その風貌はまるで西洋のドラキュラ伯爵。悪人顔で顔色も悪く、危険な性格を匂わす台詞を話す。

同じ声優・独自の欲望ではない・常人には理解しがたいような思想を持つ人物

であることもあいまって、某作品のヒソカを彷彿とさせる。



関連項目

三国志

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