概要
発祥には諸説が存在するが、概ねは消臭・清涼剤として用いられた丸薬『透頂香』(後の『外郎薬』)に由来し、そこから生まれた菓子「外郎餅」が原型とされている。
特徴
愛知県名古屋市、神奈川県小田原市、京都府京都市、山口県山口市を始めとして全国諸方に点在する伝統菓子であり、中でも「尾張名古屋のういろう」を大々的に宣伝する愛知県製のものは群を抜いて知名度が高い。
所によって材料や添加物や加色料、具材の有無など様々ではあるが、製法の一例として挙げる名古屋ういろうの代表店『青柳総本家』では、うるち米を挽いた米粉に良質な砂糖を加えて練り合わせた単純素朴な「しろ」を基本とし、「くろ」(黒糖)、「上がり」(漉し餡)、「さくら」(桜エキス)、「抹茶」の5味を持つ。
名物にうまい物なし
ういろうを指し示す代名詞となった名古屋ういろう隆盛の背景には、上述の『青柳総本家』が1931年から土産物として名古屋駅舎内販売を始めた一件が大きく関与しており、後に参入した『大須ういろ』などと並んで「これさえ買えば名古屋名物は間違いない」という手軽さをアピールした一点に尽きる。
ういろう文化に馴染みの薄い他県来訪者にはそれなりに喜ばれる反面、老舗が作る正当な名古屋ういろうの味を知る愛知県民はそれら土産専用の名古屋ういろうを自ら進んで購入する事はせず、即ち地元民やそれに近い者だけがういろうに関して「名物にうまい物なし」の揺るぎない事実を共有しているのである。
一方、人によっては
のように「『しろ』の得体の知れない薬臭さ」を感じる者もあり、これが返ってゲテモノの類で名物とされる場合もある。
地元民お薦めのういろう屋
山中羊羹舗
明治33年(1900)に創業し、愛知県名古屋市中区大須に本店を構える老舗和菓子店。
米粉に白双糖(白ザラメ)と本葛を加えた「白ういろう」を基本とし、沖縄宮古産黒糖入りの「黒ういろう」、愛知西尾産抹茶入りの「抹茶ういろう」の3味を持ち、一竿と切り分けの2種類を扱う。
山口名菓 御堀堂
昭和2年(1927)に創業し、山口県山口市駅前通りに本店を構える老舗外郎専門店(山口では「ういろう」ではなく「外郎」を公称)。
防長地域を支配した西国守護大名である大内氏が京都の風雅な先進文化を積極的に取り入れていた頃、京都で習得した外郎餅の技術を持ち帰って室町時代に創業したとされる『福田屋』に長く勤めて暖簾分けを許され、当時の福田屋の在所である大内御堀に因んだ店名とした初代主人から三代続く名店。福田屋が1946年に後継者不在による廃業を迎えて以降は、その製法を忠実に守る山口外郎の本家に位置する。
県下では、これと双璧を成す存在として福田屋の常連客が廃業を惜しんでその製法を模倣しつつ、山口外郎で初めて具材を混ぜた「豆外郎」を生み出した『山口銘菓 豆子郎』があり、「具材を加えない伝統製法の御堀堂派」と「具材を加える革新製法の豆子郎派」という山口外郎の二大源流となっている。
福田屋創業当時から600年続く特製晒し餡入りの「白外郎」を基本とし、2代目主人が黒糖を加えた「黒外郎」、3代目主人が抹茶を加えた「抹茶外郎」の3味のみを頑なに貫いているが、他地域のういろうが米粉や小麦粉を主材とするのに対して山口外郎はわらび粉を主材とする大きな相違点があり、滑らかな舌触りと雑味の無い口当たりに特化する。
一竿そのままで提供される他に最初から1つ85gに切り分けて竹皮に包まれた短冊分包があり、山口県下で提供される大半の外郎は内容量こそ違えど御堀堂の短冊分包を模した食べ切りサイズを主流としている。
※尾張以外にお住まいの方も気軽にお薦めのういろう販売店を挙げて下さると嬉しいです。