概要
発祥には諸説が存在するが、概ねは消臭・清涼剤として用いられた丸薬『透頂香』(とうちんこう、後の外郎薬)に由来し、その口直しとして供された生菓子「外郎餅」が原型とされている。
なお、薬品としてのういろうを指し示す最も有名なものには、市川團十郎宗家相伝の傑作選『歌舞伎十八番』の一つ『外郎売』(ういろううり)で朗々と語られる啖呵売「相州小田原虎屋のういらう」がある。
特徴
愛知県名古屋市、神奈川県小田原市、京都府京都市、三重県伊勢市、山口県山口市を始めとして全国諸方に点在する伝統菓子であり、中でも「尾張名古屋のういろう」を大々的に宣伝する愛知県産のものは群を抜いて知名度が高い。
所によって材料や添加物、具材や着色料の有無など様々ではあるが、製法の一例として挙げる名古屋ういろうの代表店『青柳総本家』では良質の米粉と砂糖を練り合わせて蒸し上げた単純素朴な「しろ」を基本とし、「くろ」(黒糖)、「抹茶」、「上がり」(こしあん)、「コーヒー」、「ゆず」、「さくら」(桜エキス)の7味を持つ。
餅粉に糖分を加えて練り合わせたものを加熱して固形化する餅の一種「求肥」の製法に類似し、餅粉を米粉、特に上新粉に置き換えて日持ちの良い加熱製法「蒸し練り」を選んだものが外郎餅、つまりはういろうである。主材に小豆を、副材に米粉や葛粉、小麦粉を用いて蒸し練りで仕上げる羊羹の原型「蒸し羊羹」との共通点も多く、製法の確立順から見れば求肥は父に、蒸し羊羹は兄に当たると考えればわかりやすい。
京都の行事食
立地の都合で例年の如く酷暑を迎え、大飢饉やそれに伴う伝染病の蔓延によって数千人規模の死没者を度々出した京都では夏の厄除け『夏越祓』(なごしのはらえ)に欠かせない大切な行事食「水無月」として今なお受け継がれ、6月30日に府中の菓子店こぞってこれを売り出すのが大祭礼『祇園祭』と並ぶ夏の風物詩となっている。一般的には角棒状の白ういろうに小豆をたっぷりと乗せ、その上から煮溶かした寒天や葛を流して留めた二層構造であり、これを三角形に切り分けたものを水無月としている。
そもそもは、「水無月初日(旧暦)に氷を口にすれば暑気中りをせず壮健に夏越しできる」とされた室町時代の宮中行事『氷の節句』(ひのせっく)に由来するものであり、宮内省に出仕する役人のうち「主水司」(もんどのつかさ=飲用水管理部門)に所属して衣笠山に設けた氷室を管理する「氷室預」(ひむろのあずかり)に命じ、冬に作って厳重に保存してあった氷を現場従事者「氷室守」(ひむろもり)を通じて宮中に献上させていた。しかし、諸々の理由で昇殿が許されない公卿「地下」(ぢげ)や市井に暮らす庶民には手の届かない大変な貴重品であったため、白地の外郎餅に
- 三角に切り分けて氷の形に見立てた
- 「赤は邪気や病魔を祓う」という古来の慣習に従って小豆をあしらった
- 透き通った上地を加えて目に鮮やかな涼気を演出した
というせめてもの工夫を盛り込んだ「水無月の氷」の代用品として生み出され、いつしかそれに水無月という銘が添えられて現在に至る。
名物に旨い物なし
ういろうを指し示す代名詞となった名古屋ういろう隆盛の背景には、上述の青柳総本家が昭和6年(1931)から土産物として名古屋駅舎内販売を始めた一件が大きく関与している。戦後に参入した『大須ういろ』などと並んで「これさえ買えば名古屋名物はまず間違いない」という手軽さをアピールしたのも、青柳総本家の販売戦略が上手くハマったといえる。
ういろう文化に馴染みの薄い他県来訪者にはそれなりに喜ばれる反面、老舗の正当な名古屋ういろうの味に慣れ親しんだ愛知県民は誰もが「土産物用に作られたそれらは本物ではない」と承知しており、即ち地元民やそれに近い者だけがういろうに関して「名物にうまい物なし」の揺るぎない事実を共有しているのである。
しかし、それを自発的に他県民に発信する機会は極めて少なく、加えてういろう日本一の誇りを持つがゆえに
- 原文:「おみゃーさんらぁ、ちょっと待ったってちょ。どえりゃーご無礼してまったがよぉ、次ゃーでら美味ゃーういろう教えるでよ、まっぺん名古屋にいりゃーせ。そん時ゃーわしも1切れ呼ばさしてまったら嬉しゅーでかんわ!!」
- 訳:「皆さん、お待ち下さい。大変失礼をしてしまいましたが、次回は本当に美味しいういろうをご紹介しますので、もう一度名古屋にお越し下さい。その時は、私にも1切れ分けていただければ幸いです。」
とはいかず、
- 原文:「おみゃーさんらぁ、名古屋のういろうよー知らんでちょーすいとるんきゃ、このたーけが!!それはそれ、あれはあれのまるで別もんだで、まーとろくせゃー事言うとったらいかんなば!!」
- 訳:「皆さん、名古屋のういろうをあまりご存知でないようで悲しく思います。それはそれ、あれはあれの全くの別物ですから、さも知っているように言うのはいかがなものでしょう。」
と、逆にういろうに対する無知を窘められるのが現状である。
一方、人によっては「『しろ』の得体の知れない薬臭さ」を感じる者もあり、これがかえってゲテモノの類で名物とされる場合もある。
地元民お薦めのういろう屋
山中羊羹舗
1900年(明治33年)に創業し、愛知県名古屋市中区大須に本店を構える老舗和菓子店。
米粉に白双糖(白ザラメ)と本葛を加えた「白ういろう」を基本とし、沖縄県宮古産黒糖入りの「黒ういろう」、愛知県西尾産抹茶入りの「抹茶ういろう」の3味を持ち、一棹と切り分けの2種類を扱う。
山口名菓 御堀堂
1927年(昭和2年)に創業し、山口県山口市駅前通りに本店を構える老舗外郎専門店(山口では「ういろう」ではなく「外郎」を公称する)。
防長余州を支配した西国屈指の守護大名である大内義隆が京都の風雅な先進文化を積極的に取り入れていた頃、京都で習得した外郎餅の技術を持ち帰って室町期に創業したとされる『福田屋』に長く勤めて暖簾分けを許され、当時の福田屋の在所である大内御堀(おおうちみほり)に因んで屋号とした初代主人から三代続く名店。福田屋が終戦直後の1946年(昭和21年)に後継者不在による廃業を迎えて以降は、その製法を忠実に守る山口外郎の本家に位置する。
これと双璧を成す存在として、福田屋の常連客が廃業を惜しんでその製法を模倣しつつ山口外郎で初めて具材を混ぜた「豆外郎」を生み出した『山口銘菓 豆子郎』があり、「具材を加えない伝統製法の御堀堂派」と「具材を加える革新製法の豆子郎派」という山口外郎の二大源流を成している。
福田屋創業当時から600年続く特製晒し餡入りの「白外郎」を基本とし、2代目主人が黒糖を加えた「黒外郎」、3代目主人が抹茶を加えた「抹茶外郎」の3味のみを頑なに貫いているが、他地域のういろうが米粉や小麦粉などの穀粉を主材とするのに対して山口外郎はわらび粉を主材とする大きな相違点があり、瑞々しさを湛える滑らかな舌触りと雑味の無い口当たりに特化する食感を最大限に引き出す副材の研究に慎重を期しているためである。
一棹そのままで提供される他に最初から1つ85gに切り分けて竹皮に包まれた短冊分包があり、山口県下で提供される大半の外郎は内容量こそ違えど御堀堂の短冊分包を模した食べ切りサイズを主流としている。
御堀堂の外郎は山口を離れて暮らす智者文人に愛され、詩人の中原中也が東京へ戻る際には必ず御堀堂で買い込んだ外郎を手土産にしたとされる他、随筆家の宇野千代が「白い羊羹」と称して郷里である岩国の餡餅「いが餅」と共に大好物に挙げている。また、小説家の司馬遼太郎が取材で山口を訪れた折、逗留先のホテルでお茶請けに供された御堀堂の外郎に感動し、外郎を通じて山口に根差した大内文化の深さを称賛した経緯を紀行文集『街道をゆく』の一編「長州路」の一節に記している。
※尾張以外にお住まいの方も気軽にお薦めのういろう販売店を挙げて下さると嬉しいです。
ういろうが関係する創作物
劇場版第5弾『ドラゴンボールZ この世で一番強いヤツ』に登場する悪の科学者。
シンタローが盗み出した秘宝『青の秘石』を奪還するべくパプワ島へ派遣されたガンマ団の刺客の1人。
- WILLOW(COTTOn)
など
関連イラスト
- 外郎売の啖呵売
「拙者親方と申すは、御立会の内に御存知の御方も御座りましょうが…」
- 名古屋県民による名古屋ういろうの正しい食し方『棒食い』
「うん、でら美味ゃー。やっぱういろうはこれだなも。」
- 不思議の国のニポン(ラーメンズ)
「我々はこれを完成品とは認めない!!」