概要
中世ヨーロッパの英仏間に起きた戦争。一般的に西暦1337年から1453年のおよそ百年間の間に起きたのでこう呼ばれている。しかし学者によっては1294年から1475年までだったり、1338年、1339年に始まってたりなど、ばらつきがあるがおおよそ中世の時代であることは確かである。
勃発の背景
この戦争が始まる前に既にイギリス王家とフランス王家との間にさまざまな問題があったため、詳しくはwikipediaで。
・イギリス領土の内政をフランスが干渉してきた
・王位継承問題 etc…
……と、昔の戦争にありがちな事例だらけである。
こうして両王家との戦争が始まったのである。
エドワード戦争(1338~1368)
この時期におけるプランタジネット朝イギリス軍は、クレシーの戦い、ポワティエの戦いなどで快進撃を見せ、ポワティエにおいてはフランス王ジャン二世を捕縛した。君主がいないことでフランスは無政府状態になり、内乱が勃発。フランスはやむなく屈辱的な平和条約(カレー条約)を結ぶことになる。しかしその条約も僅か9年ほどしか続かず、再び戦いが始まった。
多額の賠償金や領地の没収でボロボロのフランスだったが、その後は賢王シャルル5世の内政改革や外交手腕のおかげでフランスの基盤は安定しつつあった。だが、その後の摂政の暴政や5世の後を継いだシャルル6世が精神錯乱などしてしまい、再びフランスは窮地に立たされた。そのことによってオルレアン派とブルゴーニュ派とに派閥がわかれ、泥沼の対立を生んだ。
そうしたフランスの混乱の中、一人の少女が現れた……
ジャンヌ・ダルクの登場
フランスはイギリスと連合国家として成立されていたが事実上は従属に近いようなものだった。そしてイギリス軍がオルレアンの包囲をする中、神の啓示を受けたジャンヌの軍勢が僅か7日間だけで包囲する砦を落とし、イギリス軍を撤退させた。このことにより彼女は聖女、救世主と呼び、オルレアンの兵士、市民たちは歓喜した。その後フランス軍は息を吹き返し、今までイギリスに占領されていたロワール川沿いの各地域を制圧していき、ランスに到達した。そしてシャルル7世がランスに到着しノートルダム大聖堂で戴冠式を終えた。1429年にシャルル7世はジャンヌにパリの解放を指示したが失敗、彼女はキリスト教の異端者として破門され、火刑にあい死んだ。
終息の時
ジャンヌ・ダルクは処刑されたもののフランスの勢いは留まらず、その後は巻き返し、大いにイギリスと圧巻した。そして1453年10月19日、フランスの都市ボルドーが陥落しイギリス軍は大陸から撤退、百年戦争は長い年月を経て終結した。
その後のフランスとイギリス
イギリスは百年戦争における疲弊は大きく、イギリス諸侯の反乱である薔薇戦争が勃発してイギリスは不安定な時期に突入する。また皮肉にもフランスは百年戦争を期に国内統一が完了してブルボン朝が勃興しより国力が強化された。さらに王の権力がより強化され、ルイ16世を代表とする政治体制絶対君主制へと進んでいった。