髭切
ひげきり
概説
製造時期は平安時代とされ、刀工は筑前国三笠郡の出山とされるが詳しくは伝わっていない。
源氏ゆかりの太刀であり、源義仲が作らせ、その後源氏重代の宝刀として崇められていく。
試し切りで罪人の遺体の首を落とした際、髭まで一緒に切り落としたことからこの名が付いた。
膝丸とは兄弟分であり、こちらも源氏の宝刀とされる。
「鬼切丸」伝説
この刀には「鬼切丸」(おにきりまる)の異名がある。
最初の使い手である頼光四天王の一人・渡辺綱が、ある夜に一条戻橋で美女と遭遇する。
のちにその美女が鬼と分かって綱が鬼の腕を切り落として以来、“鬼切”の異名をとるようになった。
以下はその二つの伝説である。
橋姫伝承
宇治の橋姫の伝承にある物語。
綱は女子に家まで送って欲しいと頼まれ、馬に乗せて出発し始める。するとしばらくして、なんと女は綱を抱えて空を飛び、愛宕山へと連れ去ろうとしたのだ。あわてた綱だったが腰に髭切を佩いていることを思い出し、その太刀で女の右腕を斬りおとし、なんとか北野天満宮の辺りに落ちて生還した。
茨木童子伝承
大江山での酒呑童子退治の後日談的な位置にある物語。
前半は橋姫伝承と同一だが、そこから続きが存在する。
綱は主人である源頼光に、持ち帰ってきてしまった腕の処理に付いて相談する。
頼光は知り合いの陰陽師(一説には安倍晴明)にこのことを伝えると、陰陽師は「七日七晩のあいだ“物忌み”をしながら家に閉じこもり、決して人を家に入れないこと」と教えた。
陰陽師からの教えを実践した綱は、さっそくその晩から茨木童子の来訪に遭う。しかし綱が家中に護符をはったり、夜中に仁王教を唱えたりするので童子は一向に家に入れずにいた。
そしてついに最後の七晩、綱のもとに彼の母親が訪れる。綱は母であろうと入れずにいようとしたが、親子の情に負けて母親を家に招き入れ、自分が家にこもっている事情を打ち明けた。
綱の母は鬼の腕がどこにあるのか訊きそれが見たい言ったので、仕方なく綱は陰陽師がまじないを懸けた唐櫃(からびつ)から腕をとって見せる。すると母はそれを分捕って、茨木童子に変貌。童子は破風を伴って空の彼方へと逃げて行った。
羅城門遺伝
こちらも茨木童子にまつわるもの。
大江山での酒呑童子退治に成功した源頼光一行は、酒盛りの席で「羅城門に鬼が出る」という噂を確かめるために肝試しを決行した。
全員で押し掛けて順番に羅城門に登っていき、綱の番になった時、突然美女が飛び出て来て綱に襲いかかり、綱も髭切を抜いて応戦する。格闘の末にその右腕を斬りおとし、女は逃げ、綱は右腕を証拠に持ち帰った。
後の筋書きは先の茨木童子伝承に同じで、童子が腕を取り返しに来る。
流浪の名刀
渡辺綱から源為義の手に渡り、為義の頃に髭切は獅子が唸るような声を上げるようになったたため「獅子ノ子」と名を改められる。のちに兄弟分である吠丸(=膝丸)が娘婿のために贈られると、代刀として小烏丸が寄り添うようになるが、小烏のほうが2分(約0.6mm)ほど長かったのに、ある時調べてみると小烏の目貫が2分ほど切られて獅子ノ子が同じ長さになっていたため、「獅子ノ子が小烏を短くしたか」として友切と改名される。
しばらくのち源義朝の代になって、源氏は負け戦がかさむようになる。義朝は「刀の力も衰えたか」と怨み嘆くと、その晩に八幡菩薩から「その刀は自分が友切と呼ばれることを不満にしています。髭切に戻しておやりなさい」と啓示をうける。義朝は友切を「髭切」の名に戻し、彼の死後に彼の長男である源頼朝が髭切を携え、平家討伐を成功させることになった。このとき膝丸も「薄緑」と名を変え、源義経の愛刀となっており、義経が奥州藤原氏とともに討たれたのちに頼朝の手に渡り、ようやく二刀が再会することになった。
鎌倉幕府成立後は霊社を充てがってもらい祀られていたが、幕府重鎮の安達泰盛が逗子に持ち出してそこに法華堂に奉納する。霜月事件で泰盛が滅亡すると、執権である北条貞時が赤地の錦の御袋を用意して髭切を収め、再度法華堂に奉納している。
鎌倉幕府滅亡後は、新田義貞が鬼丸国綱とともに纂奪するも、斯波高経に討たれると高経が所有するようになる。足利尊氏は、源氏重代の名刀を高経が持っていると知り引き渡しを求めたが、高経は士族の高さでは足柄にも負けない自負があったため、頑として譲らず尊氏を憤慨させたという。
その後の系譜については定かでないが、斯波氏からその子孫である最上氏に渡り、江戸幕府の成立によって最上氏が改易されて旗本に落ちぶれても家宝として扱われた。
しかし明治時代には質に流れてしまい、華族の競売にかけられているのを政治家で剣術家だった籠手田安定(こてだやすさだ)に発見され、最上氏に返上される。
しかし最上氏も二度目の流出は避けたいと考え、北野天満宮に奉納され、現在に至る。
創作での髭切
退魔の霊刀とあってそれなりの知名度を持つため、和風創作では出番がある。