概要
地方公共団体や商店街などが設置管理する便所である。日本では基本的に無料である代わり、管理も最低限にしかなされていない事が多く、洗面所に石鹸が置いてあるだけでかなりマシな方という状況が長らく続いていた。
そのため不衛生な場所としてあまり積極的に利用されず、往々にして不良等の溜まり場となって近付くに近づけないという状況にもなっている。酷い場合タバコ等のポイ捨てや落書き、器具の破損によって最早便所としての機能を為していないものもある。
海外ではそうした事態を防止するため、有料制としている所も存在する。料金を支払っていても一定時間以上入室していると強制的にドアが開くものや、入り口や洗面所程度であれば防犯カメラで撮影しているものもある。
一方、日本でも著名な観光地、大規模なデパートやショッピングモール、高速道路のサービスエリア、鉄道の駅ナカといった資金力に恵まれた組織では、生活水準の向上に伴って便所も高水準なものを用意するようになっており、清潔でデザインにも工夫を凝らした公衆便所が各地に登場している。案内状の呼称も「トイレ」や「お手洗い」が当たり前となった。
隠語としての「公衆便所」
明治期以降、公衆便所の普及に伴って射精を排泄行為の一種と捉え、不特定多数の男性と性行為を行う女性を公衆便所に例える考え方も広まって行った。「所」と「女」が共に「ジョ」という読みを持つ点も連想されやすかった。
特に独特の文化を形成していた遊郭との対比で、相手を選ばず(選べず)性行為一本で商売する中級以下の娼館と娼婦が対象とされやすく、時に衛生問題を議論する中で本物の公衆便所と並列して持ち出される事さえあった。
政治家や役人がそのような状況であったため、一般人の意識は更に低く、しばしば本物の公衆便所同様に狼藉行為を働こうとする輩も現れた。
むしろ、例え元がどんなに汚かろうが問答無用で犯罪者となる公共物の破壊に対し、娼婦への暴行は往々にして道徳や宗教的そもそも論にすり替えられて娼婦の側が責を負わされたため、器物以下の立場に置かれたとも言える。
まして男性客の衛生観念はほとんど議題に上らず、次第に「突撃一番」として性行為を煽ったり、「肉便器」として当たり前のように中出しを行うようにさえなっていった。こうした男尊女卑の社会認識は、今なお「何してもいいのよ」という鬼畜ネタとして連綿と続いているのである。
ただし、昭和半ばごろまでは暴行とまでは行かずとも、「公衆便所」の利用自体は容認または黙認する女性が普通に見られていた点には留意が必要である。
避妊手段が未発達で、性を語る事自体現在よりはるかにタブー視された時代、多くの女性にとって性行為とは一方的に男性の欲望をぶつけられるだけのリスキーな行為でしかなく、代われるものなら代わってほしいと考える人も少なくなかったのである。
便所を屋内に置かない家が多かったのと同様に、性行為もまた安易に家の中に持ち込むべきではない「穢れ」とされていた時代があったわけである。それはまた、そうした「穢れ」を引き受ける娼婦達が差別されこそすれ、同情など同性からもされない社会であった事と表裏一体の関係であった。