ソクラテスは人名及びキャラクター名。
この項目では一般的によく知られる哲学者に関して解説を行う。
概要
Σωκράτηςは古代ギリシャの哲学者、紀元前紀元前469年頃生まれ、紀元前399年没、生まれはアテナイ、父は彫刻家、石工のソプロニスコス、母は助産婦のパイナレテとされている。
哲学者として有名だが、古代ギリシャ市民の義務として、重装歩兵として戦争に従軍したとされ、そのことは他者の記述により明らかとされている。
また哲学者としては現代の西洋哲学の源流ともなったともいわれる。
主張の曖昧さに関して
なお、彼の業績や主張、言動などに関しては弟子や同時期の著述者により記述された曖昧あるいは誇張された可能性が高いものであるため、相違あるかもしれない。
また、死後弟子が残した記録に登場することがあるが、彼らの思想の補強として利用された形跡もあり、その点注意すべきであるといわれる。これはソクラテス問題といわれる。
これは本人が、話し言葉を「生きている言葉」とし、書き留められた言葉、すなわち「死んだ会話」とは相違し、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体であると考えていたためである。
哲学者として
彼が哲学者として有名になった一つの要因は彼の用いた問答法であり、極端に言えば
「バカのふりをして、政治について高らかに語る政治家たちに対して質問し続けることでボロを出させる」というものであり、例を出すと
ソクラテスと政治家A がいたと仮定する
A「このギリシャにおいて最高の国となることが国家の目標なのである!」
ソ「じゃあ、最高の国になるって何?」
A「国民すべてが幸せになることだ」
ソ「じゃあ、幸せって何?」
A「国民全体が不満なく人生を全うしていくことである」
ソ「不満なく人生を全うする って?」
……( 以下略 )
このように質問を続けていくとAはいつか言葉に困るか、矛盾したことを言うようになるだろう。そうなった時にソクラテスは
「自分で説明し切ることもできないのにあんなに高らかに語ってたんですね (笑)」
と、皮肉を言うのである。
その皮肉はエイロネイアと呼ばれ、現在使われるIrony( 皮肉 を意味する英単語)及び、
現在日本でも使われるアイロニーの語源と言われる( 正確に言うとアイロニーが先ほど言った英単語からできたカタカナ語なので、エイロネイア→Irony→アイロニーが正しい)。
またその行為があまりにも激しく行ったため、政治家により異端とみなされ、公開裁判にかけられるも、自らの説を曲げることもなく有罪となり、亡命などの手段をとらず、毒をあおり死ぬ羽目となる。
この手法のみ見れば、皮肉屋かつ頑迷な、単なる性格の悪い人に見えるが、詳しく知ると実際そんなことはない。
他にも「自らの無知を知ることで新たな知を求めるようになる」ことを説いた「無知の知」でも有名である( この考えは先程のエイロネイアのエピソードの後政治家に落胆している民衆に「私も政治の最終的な答えはわからない。しかし、だからこそ皆で答えを考えていこう」と説いたことから )
弟子
彼の弟子と呼ばれる人物は政治家や哲学者など、複数存在したとされるが、ソクラテス自身はあまり弟子という感覚で教えを請う人たちに哲学を語っていたのではなく、様々な哲学を共に考えていく仲間、友人と認識していたようである( ソクラテスの弁明 著プラトン )。一応ここでは説明のしやすいように弟子と表記する
直接の弟子はプラトン( 哲学の追求と政治との統合を模索したことで知られる、西洋哲学の主要な源流となっている )、クセノポン( 軍人、哲学者、著述者。ギリシア語の模範テキストに著述が利用されたため残存が多い )、アルキビアデス( 政治家、軍人。政争のため敵国であるスパルタに亡命、結果アテナイは戦争に敗れた )、など。
孫弟子にはアリストテレス( この人物はプラトンの弟子 )など。
妻に関して
クサンティッペという妻がおり、この人物が悪妻であったことで有名である。ただし、後世の伝聞によりかなり誇張されている可能性が存在する。
有名な事例
彼女はソクラテスに対して激しくまくしたて、彼が動じないので水を頭から浴びせた。しかしソクラテスは平然と「雷の後は雨はつきものだ」と語った。
友人が別れることを勧めた時に
「ともかく結婚しなさい。 もし君が良い妻を持てば、幸福になるだろう。 もし君が悪い妻を持てば、哲学者になるだろう。」、また「この人とうまくやっていけるようなら、他の誰とでもうまくやっていけるだろうからね」
pixivのタグとして
pixivのタグとしては哲学者としての意味よりもキャラクターとして使用されることが多い。
などがあげられる。