概要
弘安5年(1282年)、北条時宗が元寇の犠牲となった敵味方双方の兵士たちの霊を慰めるため、南宋から迎えた無学祖元を開山として建立したお寺。最寄りの駅はJR北鎌倉駅。
その後、夢窓疎石や室町の将軍・足利家などの努力によって、鎌倉五山の第二位とされた。
境内の道場では現在も禅僧が修行をしており、毎週土曜日と日曜日の坐禅会は一般の人も参加できる。
寺の内部
ここでは主なものを掲載
- 舎利殿
国宝。源実朝が宋の能仁寺から請来した仏牙舎利(お釈迦様の歯)が祀られている。通常は非公開で、正月3が日と11月3日前後に外観のみが公開される。
- 洪鍾
国宝。関東で一番大きい鐘。正安3年(1301年)に時宗の子で第9代執権・貞時が国家安泰を祈願して寄進したもの。
- 妙香池(みょうこうち)
夢窓疎石作と伝える庭園の遺構。
- 仏日庵(ぶつにちあん)
時宗の廟所。息子の貞時、孫の高時も合葬されている。
空手との関係
昭和4年(1929年)に、日本空手道の流派松濤館流の開祖とされる、船越義珍が師範を務める慶應義塾大学唐手研究会が機関誌において、般若心経における色即是空の思想にある『空(くう)』の概念から、それまで「唐手」と呼ばれていた名称を「空手」に改める発表をだしている。
空手の表記は、花城長茂が明治38年(1905年)よりすでに使用していたが、東京で空手表記に改められたことによって急速に空手表記が広まっていった。
これに先立ち、唐手研究会の幹事たちは日本臨済宗の中興の祖で、白隠禅師の子孫である曉道慧訓師が当時管長を務めていた円覚寺へ招かれ、般若心経の講義を受けた後に、「空手という名称は、唐手術と呼ぶ従来の表現と少しも対立するものではなく、むしろ、それを包摂しつつ無限に展開することを意味するものである」という趣旨の講話を受けた。
船越師範も曉道慧訓師の前に参禅し、その指導の下で『唐手』を『空手』と改めたという。
関連タグ
北条時宗(大河ドラマ)・・・最終話で登場。
那覇市・・・第二尚氏の菩提寺として弘治7年(1494年)に鎌倉の円覚寺を模して建立された円覚寺があったが、第二次世界大戦で燃えてしまった。