概要
1991~97年にかけて放送されたフジテレビ系列のお笑い番組。名前通りダウンタウンを中心としたコント主体の内容であり、それまで漫才で知られていたダウンタウンがコントでも一流であることをお茶の間に知らしめた。
ダウンタウン以外にも入れ替わり立ち替わりで様々な芸人・俳優・ミュージシャンが番組に参加しており、番組初期は方向性が定まっていなかったこともあって実験的な要素が色濃かった。
六年間にわたる放送でのべ1304本に及ぶコントを世に送り出した。
放送終了時のレギュラーメンバーはダウンタウン・今田耕司・130R(一時期板尾のみ降板)・東野幸治(1994年~)。これに加え、1997年4月までは篠原涼子、YOUも出演していた。なお、当初は東野がいなかった。これはレギュラー化される前の特番で思い切り滑ったことと、生来の協調性の無さに呆れられたからである(そのかわりに吉田ヒロや西端弥生らがレギュラーとして出演していた)。板尾が一時期降板していたのは相手の少女が14歳とは全く知らずにソープであわや行為をしかけてしまったからである。この時に東野がレギュラーに昇格し、板尾復帰後も引き続き出演した。
1991年にレギュラー放送を開始後、すぐに人気番組となり、視聴率的にも4年目の1995年でピークを迎える(年間平均18.9%、最高24.2%)など順風満帆であった。
しかし翌1996年は一転上級者向けのコント(ただ、これこそ松本、ひいてはダウンタウンの真骨頂だったのだが)が量産され、さらに1997年4月に篠原とYOUが降板後はコントが減ってしまい、そしてその年の9月、松本が力を込めに込めて作った自信作と言っていたスペシャルの放送予定日が、フジテレビが応援しているヤクルトスワローズのリーグ優勝がかかった試合の日と重なってしまい、スペシャルの枠を潰して出演者側に伝えもせず(吉本側の連絡不徹底とも、フジテレビのスタッフがそもそも吉本にも伝えていなかったともいわれるが原因や詳細は不明)翌週に順延したのである。そもそもこのスペシャルはエキセントリック少年ボウイのCDに関連する内容だったので正しく「その日にやらないと意味が無い」ものだった。こうしてブチ切れた松本と同調した浜田が番組収録をボイコット、テレビ局側と出演者・スタッフの関係が修復不能なほど険悪なものになってしまい、これが原因で延べ6年間に及ぶ放送が唐突に終わってしまった。
特番として復活、しかし…
その後、2001年に特番として復活し「ものごっつええ感じスペシャル」が放送された。
しかし、前述の遺恨が未だ残っていた(一応松本は「フジに恨みはない」と語ってはいるが)ためか、フジテレビで制作・放送される番組であるにもかかわらず、系列外の読売テレビが吉本興業と組んで設立した番組制作会社のスタッフ(主に『ダウンタウンDX』の制作を担当するスタッフ)が作るという、何とも奇妙な体制で作られた。
このため、吉本の若手芸人が多く絡むなど、当時とはかなり雰囲気の違う番組として作られたことや、時代が既にコント離れしていた影響もあり、視聴率は9.0%と散々な結果に終わってしまった。「ごっつ」から4年という歳月が経っていたことも低視聴率に拍車をかけた。
この結果にショックを受けた松本は「もうテレビで面白いコントを作っても、視聴者がそれを見てくれない時代になってしまった」と言い放ち、それ以来地上波テレビでのコントの制作・放送の事実上の凍結宣言を行った(松本のコントは、それから10年後のNHKの番組(松本人志のコントMHK)で制作されるまで、地上波テレビで見ることができなくなってしまった)。
DVD化
コントの内容が現在の放送コードスレスレなので再放送はされていないが、人気コントを集めたDVDは販売されている。
2014年にはオンエア当時のOPやCMを挟んだ再編集バージョンDVDも発売された。