概要
女性の地位向上のために一生を捧げた政治家(参議院議員)。金をかけない理想選挙を掲げ、どの政党にも属さなかったことで知られる。(生涯無所属)
経歴
地元で小学校教師や新聞記者を務めた後、上京し、大正デモクラシーの影響を受け、女性の権利拡大のために活動しようと決心する。
1920年、女性の参政権を目指し、平塚らいてうらと新婦人協会を結成。戦後、女性参政権が実現すると、参議院議員に初当選する。市川のやり方はどの政党にも属さず(無所属)、組織に頼らないことだった。手弁当で応援してくれる支持者とともに政治活動を続けた。
市川が女性問題に関心を持った理由
市川房枝は子供の頃、父が母に対して暴力を振るう(DV)のを見て育った。しかし母は「女に生まれたのが運命だから仕方ない」とあきらめ顔だった。房枝はそれを疑問に思い、女性問題に関心を持つようになった。
余談
1974年の参議院選挙にて、のちに民主党議員、内閣総理大臣となる菅直人が市川の選挙スタッフ・事務長を務めていた。菅は市川の愛弟子を自称していたが、のちに市川本人は菅のことを見限っていたということが発覚している(理由は菅が衆議院選挙で初当選した際の彼のやり方が市川の理念に反したものだったことだとされている)。