曖昧さ回避
- 旧約聖書に登場する英雄にして二代目のイスラエル王。この項目で解説。
- 『テニスの王子様』に登場する天根ヒカルの渾名。
- 『フューチャーカードバディファイト』の登場人物→山崎ダビデ
- 『Fate/Grand Order』に登場するサーヴァント。1を元ネタとしている→ダビデ(Fate)
概要
旧約聖書にも登場する古代イスラエルの王の一人、ソロモン王の父。羊飼いから身をおこして、初代イスラエル王サウルに仕え、サウルがペリシテ人と戦って戦死したのちにユダで王位に着くと、ペリシテ人を撃破し要害の地エルサレムに都を置いて全イスラエルの王となった。
旧約聖書の『サムエル記』および『列王記』に登場し、伝統的に『詩篇』の作者とされてきた。イスラム教においても預言者の一人に位置づけられている。
巨人ゴリアテを倒した栄誉で知られており、有名なミケランジェロのダビデ像はこの時の姿を象ったものである。
ユダヤ教・ユダヤ人を表す六芒星型の紋章「ダビデの星」は彼の名に由来する。
九偉人
中世ヨーロッパにおいて騎士道を体現する偉大な人物として信じられていた9人の英雄の一人に
ダビデは数えられている。
9人の英雄はキリスト教以前、旧約聖書の時代、キリスト教徒の3人組みに分けられ、それぞれの分野での騎士・戦士の理想像として考えられた。
ダビデは旧約聖書の時代の英雄3人の内の1人で、あとの二人はヨシュアとユダ・マカバイ。
キリスト教徒の時代
キリスト教以前(異教徒)の時代
ダビデの友ヨナタン
かつてのダビデは一介の羊飼いの少年であり、立場も年齢も違ったが、
二人は篤い友情で結ばれた。
「ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、 ダビデと契約を結んだ。ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、 自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。」とされる
父サウルが殺害しようとしたダビデを助けた親友として有名であり、
ヨナタンはサウルとともにペリシテとのギルボア山での戦いで戦死。
その後「サウルの家の者で、まだ生き残っている者はいないか。私はヨナタンのために、その者に恵みを施したい。」 とダビデは友情に報いようとする。
「まだ、ヨナタンの子で足の不自由な方がおられます。
その子(メフィボシェテ)は、 サウルとヨナタンの悲報がイズレエルからもたらされたとき五歳であった。 乳母がこの子を抱いて逃げるとき、あまり急いで逃げたので、この子を落とし、そのためにこの子は足なえになったのです」
ダビデの前に召し出されたメフィボシェテは、ダビデからこう告げられる。
「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのために、 あなたに恵みを施したい。あなたの祖父サウルの地所を全部あなたに返そう。 あなたはいつも私の食卓で食事をしてよい。」
こうして
「メフィボシェテはエルサレムに住み 、いつも王の食卓で食事をした。彼は両足が共になえていた。」
これはメフィボシェテにとっては一方的な恵みだった。ただ父ヨナタンと ダビデの友情によってもたらされたことである。 ダビデはこうしてヨナタンの友情に応えた。
晩年
ダビデは晩年、家臣ウリヤ (ヒッタイト系)の妻であるバト・シェバが水浴びしているのを見初め、彼女を呼び出し関係を結ぶ。妊娠がばれるとまずいのでウリヤを戦場から連れ戻し、バト・シェバと床に入るように画策する。しかし、これがうまく行かないことを知ると、ウリヤを最前線に追いやり、戦死させた。預言者ナタンはこれを知ってダビデを責めた。ナタンがダビデの犯した罪をたとえ話で語るとダビデは自分のことと思わずに激怒し、「そんなことをした男は死罪だ」といった。
ナタンがそれがダビデのことであると明かすと、ダビデは自らの罪を悔いた。神は罰として、バト・シェバから生まれた子供の命を奪った。次にバト・シェバから生まれた子供が次の王になるソロモンである。
ダビデの三男アブサロムは周到な準備をした上で父ダビデに対して叛旗を翻し、ヘブロンで挙兵した。当初、叛乱は成功するかにみえた。イスラエルとユダヤの民はアブサロムを支持し、ダビデの下にとどまったのはクレタ人とペレティ人、ガト人のみであった。
ダビデは都落ちを余儀なくされた。祭司たちは都にとどまり、祭司たちの息子ヨナタンとアヒマアツがダビデに情報を送ることにした。
兵を集めたダビデは反撃に転じ、アブサロムの兵士とエフライムの森で激突した。この戦いでアブサロムの軍勢は完敗し、アブサロムはラバに乗って単身戦場から逃れようとした。しかし、アブサロムの自慢の長い髪が低い枝にひっかかり、木の間に宙吊りになった。ダビデは部下に対し、アブサロムに手を出さないよう厳命していたため、これを発見した部下は手を出さずに上官のヨアブに知らせた。
ダビデの腹心だったヨアブは駆けつけると、尻込みする兵士たちの前でアブサロムの心臓に棒を突き刺し、手下と共に止めを刺した。ダビデは自分に対して叛旗を翻したにもかかわらずアブサロムの死を聞いて慟哭した。
ダビデは、中央集権的君主制を樹立し、傭兵の軍隊を組織した。そして、税を徴収するために人口調査のような改革策をいくつか実施した。
年老いたダビデ王は体が暖まらなかったのでシュネムのアビシャグという美しい娘を傍らに置いて自らの世話をさせた。 そんな折ハギドの子アドニヤがダビデを差し置いて自ら王を名乗るという事件が起こった。ナタンとバト・シェバはこれを聞いてダビデのもとに赴き、息子ソロモンを次の王にするという誓いをたてさせた。祭司ツァドクはソロモンに油を注ぎ、ここにソロモンがイスラエルの3代目の王となった。ダビデはソロモンに戒めを残して世を去り、ダビデの町エルサレムに葬られた。
詩篇
彼は竪琴と芸術、詩歌に優れていた。
古代からの伝承では、150篇ある詩篇のうち多くがダビデの作であるとされる。
実在性・史実考証
アブラアム・ビラン教授の率いる考古学者のチームが1993年にダビデに関して驚くべき発見をし,その報告が「イスラエル踏査ジャーナル」に掲載された。イスラエルの北部ガリラヤに位置する
テル・ダンと呼ばれる古代の塚の遺跡で,黒い玄武岩の石が発見されたのである。
このテル・ダンの碑文には「ダビデの家」および「イスラエルの王」という文字が刻まれていた。
その碑文は、綿密な調査に基づいて、西暦前9世紀のものとされた。
ビラン教授とその仲間であるエルサレムのヘブライ大学のヨセフ・ナベ教授の報告に基づき,「聖書考古学レビュー」誌の一記事は,こう述べている。
「聖書以外の古代の碑文の中でダビデという名が発見されたのは,これが最初である」
『イスラエルの王』という語句は,聖書の中に,とりわけ列王記にしばしば出て来る用語であり、
この発見は,聖書以外のセム語による手書き文字の碑文の中でイスラエルに言及している最古の例で
ある可能性がある。
この碑文は,聖書を軽視する一部の学者の主張とは裏腹に,イスラエルが当時,重要な王国であったことを証明しているともされる。