曖昧さ回避
- ユダヤ教およびキリスト教正典『旧約聖書』に登場するイスラエル王の1人。この項目で解説。
- 『テニスの王子様』に登場する天根ヒカルの渾名。
- 『フューチャーカードバディファイト』の登場人物→山崎ダビデ
- 『Fate/Grand Order』に登場するサーヴァント。1を元ネタとしている→ダビデ(Fate)
概要
古代ユダヤの歴史書『サムエル記』『列王記』に記された古代イスラエルの英雄であり、ソロモン王の父。
イスラエル国祖であるサウルに仕え、数々の導きと助けを経てサウル王家亡き後の王座に就き、エルサレムを国家中枢とする新生王国(ダビデ王朝)の基礎を築いた。
構成
即位まで
サウルが主の戒めに背いた事件(『サムエル記』上13章「サウルの戦い」)の後、「新たなる王を探し出した」とする主の告知に従ってベツレヘムを訪れた預言者サムエルによって主の寵愛を授かる祝福の儀式「油注ぎ」を受け、しばらくして主の加護の喪失から悪霊に苦しめられる毎日を送っていたサウルに竪琴を奏で聞かせる側仕えとして召し出された。
この頃、出兵先でサウルを大いに悩ませたペリシテ軍の巨人兵「ゴリアテ」を単身で撃破し、その後の戦争でも武功を立てて凱旋しては人々から絶大な賞賛を得たが、その姿に嫉妬の炎を燃やしたサウルが奸計を仕掛けるようになり、遂には家臣にダビデ討伐の勅命を下して襲撃しようとした矢先、ダビデと深い交友を結んでいた皇太子のヨナタンから危急の密告を授かって辛くもイスラエルを脱出した。
執拗な追討を掻い潜り、それでも「サウル討つべし」の声を上げる信奉者の進言を退けて敵意を示さず、業を煮やして自ら出陣したサウルを暗殺し得る絶好の機会に直面しても「神の選んだ人に手をかけられない」と頑なに拒み続けた数年後、ペリシテ軍に敗走して四面楚歌となったサウルやヨナタンがことごとく戦死した報を耳にして大いに嘆き悲しみ、主の託宣に従って足を運んだユダのヘブロンで再び油注ぎを受けてユダの王(イスラエル12部族のうちユダ族の指導者)となった。
一方、イスラエル王国は唯一生き残ったサウルの遺子イシボセテが将軍アブネルの後見を得て国王の座を継いだが、イシボセテを擁立して実権を握ったものの先の短さを見抜いてダビデに鞍替えするべく接近したアブネル、そのアブネルに弟のアサエルを殺された深い恨みを持つダビデの配下ヨアブ双方の思惑が絡み合った末、アブネルはヨアブの手で殺害され、後ろ盾を失ったイシボセテもダビデに取り入ろうと画策したレカブ・バアナ兄弟によって寝首を掻かれ、ここにサウル王家が滅亡した。ダビデはこの2つの事件を深く呪い、特にレカブ・バアナ兄弟がイシボセテの生首をダビデに差し出した際に
「あなたの命を求めたあなたの敵、サウルの子イシボセテの首です。主は今日、我が君、王のためにサウルとそのすえとに報復されました。」
と告げた言葉に激昂し、さも「主の命に従って天誅を下した」と言わんばかりに正当性を主張する内容に対して
「私の命を、諸々の苦難から救われた主は生きておられる。私はかつて、人が私に告げて、『見よ、サウルは死んだ』と言って、自ら良い訪れを伝える者と思っていた者を捕えてチクラグで殺し、その訪れに報いたのだ。悪人が正しい人をその家の床の上で殺した時は、尚更の事だ。今、私が彼の血を流した罪を報い、あなた方をこの地から絶ち滅ぼさないでおくであろうか。」
と返し、極刑に処した兄弟の死体の両手足を切り離してヘブロンの池のほとりに立つ木に吊るし上げて晒し者に、暗殺されたイシボセテの首をヘブロンの地に作ったアブネルの墓所に丁重に埋葬した。
この兄弟に対する苛烈とも思える仕打ちにはそれなりの理由があり、かつてサウルに命を狙われて洞穴に身を潜めていた時、ダビデが部下を必死に制した事で命を救われたサウルが
「あなたが必ず王になり、あなたの手によってイスラエル王国が確立する事を、私は今、確かに知った。」
「さあ、主にかけて私に誓ってくれ。私の後の私の子孫を断たず、私の名を私の父の家から根絶やしにしない事を。」
と語った言葉を受け入れ、サウル本人の前でその誓いを立てた一件に由来する。即ち、この誓約を守って実質的にはアブネルの傀儡でしかなかったイシボセテに向けられるユダ族の刃を食い止めつつ静観を続け、どんな形であってもサウルの名と一族の血統を残そうとしたためであり、自身の損得勘定で正しい人(=主が王と定めた者)の血を絶やさんとする悪人には断罪を以って報いると決めていたからである。
かくして継承者不在となった宗主の座だったが、イスラエル王国民の総意を受けて王座に上り、ペリシテ軍を退けて占領したエルサレムに新たな都を築き、正式に全イスラエルの統治者となった。
即位後
約40年に及ぶ執政の中でエルサレムを取り巻く各国と戦争を繰り返し、ペリシテ、モアブ、アラム、エドム、アンモンなど多数の民族とその国土を掌握して勢力を拡大した一方、サウルとヨナタンの遺骨を丁重に埋葬した他、滅びたと思われていたサウル王家の血を引くメフボセテ(ヨナタンの息子)を探し出し、
- 足を患っていたメフボセテを王宮に迎え入れた
- 実の息子たちと同等の扱いで毎日の食卓に招いた
- サウル家の旧領とそこから得られる全てに対する所有権を与えた
とする数々の歓待で遇した。
ダビデは晩年、家臣ウリヤ (ヒッタイト系)の妻であるバト・シェバが水浴びしているのを見初め、彼女を呼び出し関係を結ぶ。妊娠がばれるとまずいのでウリヤを戦場から連れ戻し、バト・シェバと床に入るように画策する。しかし、これがうまく行かないことを知ると、ウリヤを最前線に追いやり、戦死させた。預言者ナタンはこれを知ってダビデを責めた。ナタンがダビデの犯した罪をたとえ話で語るとダビデは自分のことと思わずに激怒し、「そんなことをした男は死罪だ」といった。
ナタンがそれがダビデのことであると明かすと、ダビデは自らの罪を悔いた。神は罰として、バト・シェバから生まれた子供の命を奪った。次にバト・シェバから生まれた子供が次の王になるソロモンである。
ダビデの三男アブサロムは周到な準備をした上で父ダビデに対して叛旗を翻し、ヘブロンで挙兵した。当初、叛乱は成功するかにみえた。イスラエルとユダヤの民はアブサロムを支持し、ダビデの下にとどまったのはクレタ人とペレティ人、ガト人のみであった。ダビデは都落ちを余儀なくされた。祭司たちは都にとどまり、祭司たちの息子ヨナタンとアヒマアツがダビデに情報を送ることにした。
兵を集めたダビデは反撃に転じ、アブサロムの兵士とエフライムの森で激突した。この戦いでアブサロムの軍勢は完敗し、アブサロムはラバに乗って単身戦場から逃れようとした。しかし、アブサロムの自慢の長い髪が低い枝にひっかかり、木の間に宙吊りになった。ダビデは部下に対し、アブサロムに手を出さないよう厳命していたため、これを発見した部下は手を出さずに上官のヨアブに知らせた。ダビデの腹心だったヨアブは駆けつけると、尻込みする兵士たちの前でアブサロムの心臓に棒を突き刺し、手下と共に止めを刺した。ダビデは自分に対して叛旗を翻したにもかかわらずアブサロムの死を聞いて慟哭した。
ダビデは、中央集権的君主制を樹立し、傭兵の軍隊を組織した。そして、税を徴収するために人口調査のような改革策をいくつか実施した。
年老いたダビデ王は体が暖まらなかったのでシュネムのアビシャグという美しい娘を傍らに置いて自らの世話をさせた。 そんな折ハギドの子アドニヤがダビデを差し置いて自ら王を名乗るという事件が起こった。ナタンとバト・シェバはこれを聞いてダビデのもとに赴き、息子ソロモンを次の王にするという誓いをたてさせた。祭司ツァドクはソロモンに油を注ぎ、ここにソロモンがイスラエルの新王となった。ダビデはソロモンに戒めを残して世を去り、ダビデの町エルサレムに葬られた。
関連イラスト
サウル率いるイスラエル軍を震撼させたゴリアテをたった1人で、それも牧羊で用いる投石器と川辺で拾った石1つだけで退治し、イスラエル軍の大攻勢に転じるきっかけを作った栄誉(『サムエル記』上17章「ダビデとゴリアテ」)で知られており、この説話に基づいた著名な美術品として立像『ダビデ像』が挙げられる。
ドナテルロ、ヴェロッキオなど多くの芸術家は「ゴリアテの首を刎ねた後の威風堂々たる少年の姿」(左図)を表した一方、ダビデ像の代名詞的存在である彫刻家のミケランジェロは「対峙したゴリアテに投石器の狙いを探る緊迫した青年の姿」(右図)を表した。
- ダビデの星
ユダヤ教あるいはユダヤ人を象徴する六芒星の紋章。ただし、古代史上に実在したダビデとの因果関係は立証されていない。