概要
基本データ
全長 | 1275mm |
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銃身長 | 792mm |
重量 | 4000g |
口径 | 6.5mm |
装弾数 | 5発 |
「日露戦争」において、日本陸軍の主力小銃として使用されていた、三十年式歩兵銃に改良を加えて誕生し、「第一次世界大戦(主に日独戦争)」にて初めて実戦投入された。
以降は日本海軍にも供与され、主力小銃として「シベリア出兵」「満洲事変」「第一次上海事変」「支那事変」「第二次上海事変」「張鼓峰事件」「ノモンハン事変」などで使用されている。冬戦争時のフィンランドにも輸出された。
戦後の使用
第二次世界大戦が終了すると直ちに日本軍の武装解除が行われ、東南アジア戦線では三八式などを現地勢力が所持するようになった。のちのベトナム独立戦争(第一次インドシナ戦争)では独立派勢力がこの三八式を使用したとの記録もあり、またベトナム戦争でもベトコンが使用していたという記録がある。
フィンランドにおいて冬戦争後放出された本銃は現在でも猟銃として使われているとか。
批判
「日本軍は旧式のボルトアクション式小銃を主力として、半自動小銃を主力とするアメリカ軍と戦った時代遅れの軍隊。」という批判もあるが、アメリカ軍自体もM1ガーランドの配備遅延により西暦1942年初期(第二次大戦初中期)まではスプリングフィールドM1903が依然主力小銃であり、第一次フィリピン戦など太平洋戦争初期の戦いではアメリカ極東陸軍がこのスプリングフィールドM1903で日本軍と戦火を交えている。
また、ドイツ・ソ連・イギリス・イタリア・フランスでは一貫してボルトアクション式小銃が第二次大戦における主力である。ボルトアクション式小銃は1900年前後に既に「完成の域」に達した銃火器であり、各国はその時代の小銃をベースに細かな改良を施しながら第二次大戦終戦後まで主力装備として扱っている。ドイツ・ソ連もアメリカ軍同様に半自動小銃を開発・配備したが、ソ連に関しては半自動小銃のトカレフM1940が欠陥だらけでまともに運用できない代物であり、ドイツに関しては半自動小銃のワルサーGew43が主力ライフルのKar98Kを置き換えるほどの数が揃わなかった。