ソビエト流VTOL
NATOのコードネームは『フォージャー(まがい物)』。
初飛行は1975年、運用開始は1977年からである。
搭載母艦には当時最新鋭の『キエフ級重航空巡洋艦』が使われた。
(『VTOL空母』とも称される)
イギリスのハリアー戦闘機と違い、Yak-38はVTOL専用の垂直エンジンを搭載する。
ハリアーがターボファンエンジンのバイパスダクトから出る排気を利用しているのと対照的だ。
どちらも機体前部を持ち上げる為だが、違った方法を取っているのである。
余談ながらイギリスがフォークランド紛争にてハリアーを貨物船を商船改造空母として運用した事から、翌年に貨物船アゴスティニョ・ネトを利用しての試験が行われている。
ソビエト流の失敗
結局、Yak-38のように機体前部に垂直エンジンを搭載する方法は廃れてしまった。
垂直エンジンは通常の飛行の助けにはならず、普段はただの無駄な重量物だからである。
また垂直エンジンを内蔵すると、胴体外部には何も搭載できないのも欠点だ。
構造上では胴体は最も丈夫にしやすい(=最も多く搭載できる)部位であり、
ここに兵器を搭載できない欠点は搭載量の少なさとしても現れた。
(最大1.5t程度)
どちらにしてもYak-38は未完成な機体であり、兵器搭載量や燃料の少なさは致命的である。
対策としてはより低燃費・高出力なエンジンへの換装が考えられるが、
そもそもエンジンの数が多すぎて、重くなり過ぎるのである。
(実はこう見えて、通常の推進エンジン1基・垂直エンジン2基搭載の3発機である)
また燃料の搭載が増えると、エンジン出力との関係で離陸できない事態も考えられる。
第一、1.5t程度の兵器で何をしろというのか。
実用では500㎏爆弾を2発積むのが精いっぱいなのである。
また軽量化の為か、レーダーやFCSを搭載していないのも、兵器として致命的な欠点である。
唯一の実戦はアフガン侵攻だが、この時も全く役に立たなかった。
対地センサーを装備せず、対地兵装も多くは搭載できない。
機銃も無く、そもそも航続距離も短いので、遠くを空襲できないのだ。
このように、兵器としては全くの役立たずだったのである。
『フォージャー(まがいもの)』
とはいえ、冷戦でお互いの兵器の詳細が分からない内は役に立っていた。
事あるごとにキエフ級の甲板に並べられ、アメリカへの示威行動に駆り出された。
その姿はまさに『フォージャー(まがい物)』だったと言えるだろう。
(幸か不幸か、コードネーム通りである)
ただし、実態としては上記の通り『役立たず』だったので、
後継のVTOL戦闘機としてYak-141『フリースタイル』が開発された。
こちらはより高性能になっており、世界初の超音速VTOL戦闘機として期待がかけられた。
しかし、開発半ばにして冷戦が終結。(ソ連崩壊)
Yak-141の開発も放棄され、設計ノウハウは現在のロッキードマーチンに売却されてF-35の開発に生かされる事になる。
まがい物と兄弟と
Yak-36「フリーハンド」
本機とは似ても似つかない前身、または原型。初公開は1967年のモスクワ航空ショー、主翼にロケット弾ポッドを搭載した姿で公開された。
当時の西側では、これをただの「ええカッコしいのコケオドシ」と見ていたが、実際には空軍での採用を狙った試作機であった。しかし同年に公開された機には、性能の頂点を目指したMiG-25のほか、MiG-23やSu-24、Su-17など離着陸性能にも注目した機も多くあり、どう考えても性能に劣るYak-36が採用される見込みは無かった。
Yak-36M
前身より大幅な改設計を受け、型番の上では改良型といいながらも、まったくの別物になった。
推力偏向エンジン2基は垂直エンジン2基+推進エンジンとなり、機体はずっと細くなって実戦機に相応しい外観になっている。また、Yak-36では主翼ハードポイントは2か所だけだった(重量や出力の問題による)が、実戦を視野に入れたことにより4か所に増やされた。
のちに型番が変更され、この仕様の機はすべてYak-38となる。
もうYak-36が空軍から注目されることは無かったが、ヤコグレフは海軍で新鋭のヘリ空母開発の情報をつかみ、それを見込んで開発に踏み切った。そのヘリ空母というのがモスクワ級ヘリコプター巡洋艦として知られる1123型対潜巡洋艦であり、実際に2番艦まで完成していたが、肝心の航空機運用能力は高いとはいえず、3番艦の建造は中止されることになった。しかし航空機を扱える艦が不要になった訳ではなく、設計を大幅に改めて発展させる方向に舵を切るのだった。
こうして完成するのが、1143型航空巡洋艦ことキエフ級重航空巡洋艦である。
今日ではご存じのとおり、この艦は「ヘリ搭載巡洋艦」の域を超えるものではなかったが、ヘリコプターと同様に運用できるYak-38は重要な搭載機として注目された。
Yak-38「フォージャー」
Yak-36Mが制式採用となり、生産されたもの。
制式仕様の実戦型ではあるが、いざ実戦配備になると同年代の機と比べても能力・装備面で見劣りする事が(やっぱり)明白になった。
しかしソビエトはそれでも、初めてのVTOL機ということで様々な運用を試みており、たとえばエンジン制御が進化してSTOLが可能になったりした。テストとはいえ、アフガニスタン侵攻で実戦投入されもした。だが、能力的には決して高くないYak-38では、どこをどう扱おうとも使い出がなく、まして高温のアフガニスタンではエンジンの出力低下が著しくて、ますます使い出を狭めてしまうだけだった。
生産数は139機。
やろうと思えば雲霞の如く製造できたであろうソビエトにしては、かなり控えめな数字となっている。VTOL機運用はソビエトでさえ習得の難しかった事項だった、ということだろう。
Yak-38M「フォージャー」
エンジンを改良し、1割程度の向上に成功している。
おかげで1.5tだったSTOL時の搭載力は2tへと改善され、VTOL時も運用の柔軟性がついた。増槽も搭載できるようになり、武装を搭載しない場合に限っては航続能力も良くなった(厳密には武装できない訳ではないが、増槽の重量は左右計800kgあり、とくにVTOL時はそれだけで最大重量近くになってしまう為)。
が、海軍ではあまり興味が長続きしなかったようで、これ以上エンジンを改良して性能を良くしたり、電子機器を追加して実戦能力を高めるといったことには余り熱心では無いようだった。
生産機数は50機。エンジンを改良しただけで、他の能力向上に全く手を入れていない「お手軽改良」では能力がそう上がる訳もなかった。
そして、ソビエトの国家経済破綻が明らかになりはじめた冷戦末期、ソビエト海軍にはYak-38のような「オモチャ」に投資する余裕などある訳もなく、Yak-38はYak-38Mともども早々にスクラップ場行きを免れないのだった。
Yak-38U「フォージャー」
Yak-38を2人乗りに改造し、とくに空母離発着訓練用に作られた練習機。
機首を大幅に延長して教官席を設け、同時に胴体後部も延長してつり合いを取っている。
いちおう戦闘機型と同じ主翼を使っており、従って武装もできるハズであるが、胴体延長で運用自重がYak-38M比で約900kgほど増えたせいか、武装を搭載することはない。ただでさえこの重量増加はVTOL時の最大重量に近くなるものだったからである。
(そもそも練習用なので必要もないのだが)
長く垂れ下がった機首がバナナだの、チンアナゴだのを連想させると有名。
38機生産。
関連
新世紀エヴァンゲリオン第07話「アスカ襲来」:Yak-38改として登場。
エリア88:VTOL機の特性を生かし、エリア88との補給便の運航ルートに出没していた。