落合博満
おちあいひろみつ
概要
秋田県出身で、高校時代から練習嫌いで野球部に7度入退部を繰り返し、大学も中退、一時プロボウラーを目指すが挫折し、社会人東芝府中を経て、1978年ロッテオリオンズ入り。
プロ入り後も後の「オレ流」と呼ばれる事になる、自分の流儀を貫きとおした。しかし、監督の稲尾和久の理解もあり、次第に試合で使われるようになり、4年目の1982年には三冠王を獲得。その後1985、1986年と三冠王を3回も獲得するなど、ジャパンを代表するスラッガーとなり、1986年オフに中日ドラゴンズに移籍、同時に日本プロ野球初の日本人年俸1億円プレイヤーともなった。
なお、プロ野球80年以上の歴史の中で三冠王達成者は1リーグ時代を含めると3回の彼のほかに、中島治康(1)、野村克也(1)、王貞治(2)、ブーマー・ウェルズ(1)、ランディ・バース(2)、松中信彦(1)と通算7名で11回であり、ちなみに150年の歴史を誇るメジャーでも通算15名で17回と長い歴史の割にはお互い決して多く輩出していない。
彼を除く三冠複数達成者は王氏とバース氏のそれぞれ2回のほかに、ロジャース・ホーンスビー氏とメジャー最後な4割打者テッド・ウィリアムズ氏のそれぞれ2回で、3回も達成したのは日米球界を括っても彼しか未だに存在していない。歴代通算記録こそ王氏とバリー・ボンズ氏の陰に隠れがちだが、三冠王という天才に関しては彼の右に出るレジェンドがいかに誕生できないのかがもうおわかりになるだろう。
中日では打点王と本塁打王を二度ずつ獲得する。また本塁打王を初めてセ・パ両リーグで達成 。(以後タフィ・ローズ、山崎武司が達成。)
1993年オフには導入されたばかりのFAで巨人入りし、1996年オフに日本ハム入り、1998年に引退。
2004年にかつてFAで巨人入りした事で、その反発からないだろうと思われていた中日の監督に就任。1年目からリーグ優勝するなど、8年間ですべてAクラス入り、優勝4回、日本シリーズ出場5回、日本一1回という実績を挙げ、2011年退任。2013年のシーズン終了後にゼネラルマネージャーとして復帰(2016年まで勤め、2017年1月に退団)。
評価
選手として1流、監督としても名監督であったのは間違いない(特に2011年は、打率、得点ともリーグ最下位、得失点差は僅か+9の史上最低でリーグ優勝)が、「オレ流」と言われる悪く言えば自分勝手・自己流を貫き通し、またマスコミにリップサービスをせず、「プロ野球選手の評価は年俸」を公言するなど、その実績ほどには人気はなく、さらには多くのフロント陣からも嫌われていたといわれている。また、守り勝つ野球であるために、面白くないと言われることもあった。
ただ、マスコミに見えないところで密かにバッティング練習をしていたり、2006年のリーグ優勝の際に見せた涙など、決して人間味がないわけではない。
なお、かのドアラがブレイクしたのも落合監督時代の話であり、前任者の星野仙一がその手のパフォ-マンスを嫌ったのとは対照的で、ゆるきゃらブームに1役買った事は間違いなく事実である。また息子がそういう仕事をやっていることから分かる通りかなりのオタクであり、
- 息子の影響でガンプラ、というかガンダム好きに
- その息子にわざわざ作ったF91を記者の目の前で壊された際はガチで悲しむ
- ガンプラ工場を視察した時の記者「野球やってる時より楽しそうだった」
- 週刊誌に「ウイングガンダムが好きと書かれる」→困惑し、「ウイングゼロカスタムが好きなんだが」と発言
- (CSで巨人を3タテし、その時に録画したガンダムを見て)「勝った後のガンダムは最高」
- バンダイからもその熱心さを認められ落合博満専用ガンダムエクシア(ドラゴンズカラーに塗装され、両肩にはドラゴンズロゴと落合の背番号66が入っている)のプラモデルを貰う
- さらにある出演者が好きになってしまって彼が主演のアニメを見ていた
と、イメージとそぐわない、どちらかと言えばヲタクな面も見せている。
発言
元横浜ベイスターズの佐々木主浩の決め球であったフォークボールについて、「あれはフォークではなくカーブ」と発言。
「日本プロ野球での真のホームランバッターは誰?」と聞かれ、田淵幸一と山本浩二の2人をあげた。さらに「王貞治さんはホームランバッターじゃないんですか?」と再び質問され、「俺も王さんもホームランバッターではないね」と自分と王貞治を比肩して回答した。
「野球は仕事」と認識しており、「俺は野球を見るのが嫌いだし、大リーグも見ないし、高校野球も見ない」という。その一方、GM時代はチーム建て直しの一環として即戦力が見込める社会人野球や大学野球を中心とした視察が多く、GM退任後は息子を連れて解説をしながら観戦もしている。
昨今はその言動を息子に面白おかしくツイッターでネタにされたりも(一例として「まずは相手に全部言わせる。それをさせた上でこちらのカードを一枚ずつ切っていく」と交渉のコツを息子に語った上で「ただ、それが通用しないのが信子(落合夫人)」とオチをつけられたり)。