概要
日本の電機メーカー。創業者は松下幸之助の義弟である井植歳男。
同氏は松下電器産業(現:Panasonic)の創業メンバーの一人であり専務取締役を務めていたが、
1946年に松下電器がGHQから公職追放令を受けたことに伴い、松下幸之助を庇う形で退社した。
翌1947年に井植歳男は大阪府守口市にて個人経営会社「三洋電機製作所」を創業した。
当初は松下幸之助より譲渡された工場で、同じく松下から製造権を譲られた自転車用発電ランプを製造しており、創業から2年間で国内トップシェアを達成した。
創業当初、三洋電機の製品は松下電器からナショナルブランドで販売されていたが、
1949年に「三洋電機株式会社」に改組されてからは自社ブランドで直販するようになる。
後に「三種の神器」の一角となる洗濯機を1953年に開発してトップシェアに上り詰めたことで大手メーカーの仲間入りを果たす。
井植歳男が社長から退いた1968年以降も松下電器とは兄弟会社とでも言うべき親密な関係を維持していたが、ビデオ戦争の際には当初松下電器と対立するSONYのベータ陣営に加わっていた。
尤も、同陣営の有力メーカーの中では真っ先にVHSとの併売を開始しており、勝敗が明らかになった際にはこれまた真っ先にベータ方式から全面撤退している。
経営面で苦戦が続いたことで2011年にPanasonicの完全子会社となり、SANYOブランドは「パナソニック」ブランドに統合され消滅したが、2016年以降はインド市場のネット通販に限って「SANYO」ブランドが復活している。
創業から一貫して大阪府守口市に本社を置いていたが、2015年に守口の本社ビルを売却し大阪市に本社を移転している。守口の旧本社ビルは現在、守口市役所庁舎になっている。
自社製造した製品を他社ブランドに供給するOEM契約を広く展開しており、トップシェアを持つ製品が数多く存在するため「縁の下の三洋」とも呼ばれている。
また、「デジカメ」の商標は三洋電機が保有しており、デジタルカメラのOEM供給元としても世界トップシェアを有している。
1988年から2006年まで、日本プロ野球オールスターゲームの冠スポンサーを務めている。さらにバドミントン部やサッカー部やバレーボール部やバスケットボール部も有していた。2018年現在はラグビー部(関連会社だった東京三洋電機からの引き継ぎ)が「パナソニック ワイルドナイツ」として活動している。