概説
政治家、英文学者、農業経済学者、大学教授、教育者、など、幾ら肩書をつけてもあまり分からな日本人の一人。平成の日本人には5000円札の肖像であった人物といえば分かるのかもしれない。
ひとまとめに言うなら、「近代日本の国際社会における地位向上に尽力した人物」で、今日における日本の国際社会での成長を語るうえで欠くことのできない偉人である。
札幌農学校の俊才として、内村鑑三らと友情を育んだ。
その後、北海道で札幌農学校教諭としての職を得るが、より飛躍するため東京大学に入学、しかしその教育レベルに飽き足らずアメリカなどに留学した。そしてアメリカでキリスト教のクエーカーに入信、生涯の伴侶となるメリー夫人と出会う。
帰国後、札幌農学校の教諭を引き受けたり、貧困層に対する教育機関「遠友夜学校」の開設を行ったりなど八面六臂の活躍を行ったが、そのために精神を病み、その療養中に名著『武士道』を著す。
本書は、海外の教育関係者との会話において、日本における宗教的教育の欠落を感じ、明治33年にアメリカ合衆国で『Bushido:The Soul of Japan』として刊行したものであり、セオドア・ルーズベルト・ジョン・F・ケネディ大統領など政治家のほか、ボーイスカウトの創立者であるロバート・ベーデン=パウエルなど、多くの海外の読者を得た。
日本においても翻訳して出版されたが、新渡戸氏の個人的な主観や独自の考えも強く、日本人の中には受け入れがたく感じる者もおり、彼の思想を批判する書籍も出版された。
その後は東京女子大学や新渡戸文化学園(平成に入ってからの改名)の校長、女性の地位を上げる目的や平易な文章による大衆に向けた雑誌での連載、津田梅子や新島襄らの後援、貴族院議員、第一高等学校校長としての多くの生徒への感化、国際連合の前身である国際連盟の事務局次長を務める(この間キュリー夫人やベルクソン、ルーズベルトなどと交流し、その内容を日本人のために著作『内観外望』で表している)など(順番は前後している)生涯にわたって、日本および国際社会のために貢献した。
第二次世界大戦期に日本軍を批判した(松山事件)ことなど国際社会から批判を浴びたことで、晩年は豊かなものとは言えなかった。
しかしながら、それなりに評価のある人物であることは間違いはないだろう。