一郎彦
いちろうひこ
概要
バケモノの街・『渋天街』の長・宗師の次期候補の一人・猪王山の長男。年齢は九太より一つ年上。弟に二郎丸がいる。
誇り高きバケモノである父・猪王山を誰よりも尊敬し、将来は自身も猪王山と同じく立派なバケモノになることを夢見ている。
一方で、父と同じ次期宗師候補である熊徹やその弟子である人間の九太を「半端者」、「ひ弱なやつ」と見下しており、二人が修行を重ねた末大いなる成長を遂げ、次第に周囲から感心され彼らを支持する声が強まってからも頑なにその見方を変えようとしない。
また青年に成長すると、どういうわけか口元を常にマフラーで覆うようになる。周囲には、かつて口元に大火傷を負いその傷跡を隠すためと説明しているが…。
成績優秀な優等生であり、バケモノ界では数少ない人間の文字を読むことができる者の一人で、劇中で「鯨」という文字が読めたのはそのためである。
※以下、物語最大級のネタバレ注意!!
ネタバレ
「人間のくせに…!」
迎えた次期宗師を決める闘技試合の当日、猪王山を見守るために家族や他の弟子たちと共に試合が行われる会場に訪れる。
そして試合が始まると、当初こそ猪王山は熊徹の猛攻に押され気味だったが、やがて隙を突いて反撃に転じて熊徹を圧倒し、しまいには熊徹からダウンを奪う。
それを見て猪王山の勝利を確信する一郎彦であったが、その時会場から凄まじい怒鳴り声が響く。声のした方向に目を向けると、そこには喝破という名の激励で熊徹の背中を押す九太の姿があった。
九太の一喝によって息を吹き返した熊徹は、全身傷だらけでありながらも立ち上がり、果敢に猪王山に攻め入る。
激しい熱戦を繰り広げる両者だが、それでも猪王山の絶対的勝利を信じて疑わない一郎彦。しかし彼のその思いも虚しく、熊徹の放った渾身の右ストレートによって猪王山はダウン、そのまま立ち上がることはなく、次期宗師は熊徹に決定したのだった。
次期宗師に決定した熊徹を盛大に歓迎する観客たち。猪王山との決闘に勝利した熊徹と九太はいつものように喧嘩口を叩きながらも歓び握手を交わし、それまでの宗師と闘いに敗れた猪王山はそれを温かい目で見つめる。
しかしその時、熊徹の身体に突然何が突き刺さる。それは鞘の抜かれた猪王山の剣であった。一同が剣の飛んできた方向を見ると、そこには謎の力を源にした念動力で剣を操る一郎彦の姿がーーー。
「アハハハハハハハハハハハ!!!父上、私の念動力と父上の剣で勝負をつけました、あなたの勝ちです!熊徹みたいな半端者に父上が負けるわけがありませんからね!!!」
そう彼が高笑いを浮かべると同時にそれまで一郎彦の口元を覆っていたマフラーが外れ、その素顔が露わになった。
その顔は、猪王山や二郎丸のような長い鼻や牙のない、紛れもない人間の顔そのものだったのである。
そして熊徹に深手を負わせた一郎彦は、闇に呑み込まれるかの如くその場から姿を消してしまった。
一郎彦の素性は事態が一旦落ち着いたところで、猪王山の口から語られることになる。
実は一郎彦は猪王山の実子ではなく、その正体は九太同様、バケモノによって拾われ育てられた人間の子供である。
人間である彼が、バケモノである猪王山に育てられることになった経緯は、赤ん坊の頃、実の親によって一人置き去りにされていたところを人間界を徘徊していた猪王山がその泣き声を耳にし、人目につかぬ路地裏でそれを見つけると、猪王山は幼子の泣き声を聞き取る者のいない人間界ではこの子は生き抜くことができないと悟り、自らの子として育てることを決意する。
しかしバケモノ界では一般的に対を成す人間という存在は蔑まれた対象であるために、それによって彼の人生に悪影響が及ぶことを恐れた猪王山はその事実を周囲にも本人にも伏せてきたため、自らの出生に関する事情は知る由もなかった。
だが成長するに従って次第に自身と家族との容姿の違いは浮き彫りとなることになり、それが明確になるにつれその疑問を何度も猪王山に尋ねていたが、その度に彼は「お前は私の息子だ」と説き伏せ続けていた。しかしその行為は却って一郎彦の不信感と不安を買うことになり、また「半端者」と見下していた熊徹と九太が修行を重ねる度に世間から認められ尊敬する猪王山に肩を並べるようになり、結果として自らの唯一の心の拠り所にしていた「次期宗師候補者(猪王山)の息子」という立場が揺らいできたのも重なって、彼の心の中に存在していた"闇"は次第に増幅されていくのであった。
なお序盤のシーンで九太をいじめる二郎丸の仲裁に入った際に「僕はまだ子供だけどしっかし修行して、いつか父上のような長い鼻と大きな牙の、立派な剣士になるんだ」と発言しているが、これは自らが猪王山の息子であることを必死に肯定しようとする彼の気持ちの表れである可能性がある(終盤の猪王山の回想シーンで明らかになるが、彼はこの時点から自身の正体に感付きつつあった)。九太を「ひ弱な奴」と見なしていたのも、人間の彼を否定することによって自身は人間ではないと自己暗示を掛けようとしていたことが伺える。
口元をマフラーで隠していたのも、家族とは全く似つかぬ自らのその容姿を隠すためである。
そして上記の闘技試合で、尊敬する父・猪王山が半端者の熊徹に敗北するという自らが最も恐れていた事態が訪れたことをトリガーに、彼が溜め込んでいた心の闇が暴発することになってしまった。
皮肉にも、猪王山、引いては宗師として必要とされる周囲を思いやる姿勢と器の広さ、慈悲深さといった徳の高さが裏目に出てしまった結果であると言える。
それを訊いた九太は、彼を闇から救い出せるのは同じ人間である自分しかいないと悟り、彼と闘うことを決意。
九太が自分の本(白鯨)を楓に預けるために人間界へ向かうと、それを追って自らも憎悪の対象の一つである人間界へ赴く。
そして渋谷のセンター街で九太を見つけると、周囲に無関係な人間が沢山いるのも御構いなしに彼に襲いかかり、それに応戦した九太と激しい斬り合いを繰り広げる。彼との交戦の末自らの闇の力を増強させた一郎彦は、それで九太を一時撤退させ、周囲の民衆らも彼の異様さに恐れおののき一目散にその場から逃走する(余談だが、この時の彼の顔は本来の端正な顔立ちからは想像もつかないほど怪物染みた形相をしている。その光景は一周回って非常にシュールであり観客にシリアスな笑いを誘う)。
↑だいたいこんな感じ
誰もいなくなったセンター街に一人佇んでいると、逃走する際に楓が落としていった白鯨をふと発見し、それを拾い上げ本を開くとその中から「鯨」という文字を目にする。すると一郎彦は自らの姿を巨大なクジラに変貌させ、渋谷の街中を暴走し、街を大混乱へと陥れる。
その姿は、「マッコウクジラに猪の牙が生えた」という一郎彦のコンプレックスが反映されたものであった。
自らの闇を暴発させ、人間界とバケモノ界、両世界を危機に陥れる一郎彦。
そして九太が彼との決着の舞台として選んだ代々木体育館で再び九太と対峙すると、彼に再度襲いかかるが、その時二人の間に付喪神に転生した熊徹が現れ、その神々しさによって叫び声を挙げながらその場から弾き飛ばされる。
体勢を立て直すと、今度こそ九太を抹殺するために彼に襲いかかるが、クジラが出現する直前に彼の本体が一瞬姿を現わすという弱点を突かれ、熊徹と一体化した九太の渾身の一振りによって彼の胸にある闇を切り裂かれる。
そしてクジラは大空に舞い上がり、もがき苦しみ大きな断末魔を挙げながら消滅し、晴れて彼は闇から解放されたのであった。
翌朝、彼が目を覚ますとそばには自らの介抱疲れによって一緒に眠っていた家族の姿があった。そして彼がふと右の手首に目をやると、見覚えのない赤い紐が結び付けられていることに気づく。それは九太が彼の闇を祓った際に密かに一郎彦に付けた楓のお守りだった。
騒動が鎮まった後、今後彼がバケモノ界に身を留めて良いか否かを決定するために渋天街の元老院にて会議が行われる。本来であれば、人間である一郎彦はバケモノ界にはいてはならない存在である上に世界を滅亡の危機に晒したことから追放される可能性もあったが、同じく人間である九太が自らの「闇」を克服し困難を乗り切ったという功績からそれは見送られ、改めて猪王山の息子として家族と共に再出発するのであった。
熊徹と九太の成長と絆は、自らの弱さに抗いきれなかった猪王山・一郎彦親子にも希望を見出させたのである。
補足
- その悲哀な生い立ちと、一度は闇堕ちするも同じ境遇を持ち、それを乗り越えた主人公に救い出される結末から、彼に共感を覚えた者は多く、本来のヒロインポジションである楓を差し置いて、男性キャラクターでありながら彼を本作のヒロインと呼ぶ声は少なくなく、一部では女性説も囁かれるほどである。またネットでは悲劇的なキャラクターでありながらしばし「報われていない」という否定的な意見が見られるが、上記の記述通り人間と発覚したあとでも渋天街で家族と暮らせることになったため、むしろ彼にとっては大いに幸福と言える結末を辿っている。ただしこれは小説版でのみ描かれた描写であるため、映画版しか観ていない観客にとってはエピローグでバケモノたちから英雄として讃えられた九太との雲泥の差も相まって、最後まで悲劇的な印象を持つ人も少なくないであろう。
- 青年期の彼の声優を務めた宮野真守氏の熱演あって、暴走している際の彼の狂気ぶりは観客の度肝を抜くほどの迫真に迫った演技力があり、宮野氏が本業の声優であるのも重なり、演技面では最も評価の高いキャラクターの一人でもある。
- 終盤で彼が鯨の姿になった理由は、『白鯨』を読んだ際にそこに登場する鯨に自らを重ね合わせ反映させたためである。中盤でも九太が楓との交流を通じて『白鯨』の内容を理解する内に、鯨を自らの心の闇を示した存在と認識する描写がある。つまり本作における鯨(厳密には『白鯨』に登場する敵役であるモビーディック)は人間の心の闇の象徴であり、一郎彦がその鯨の姿に変貌したということは彼が我を忘れ完全に自らの闇に呑み込まれてしまったことを意味する(劇中でも楓が鯨と化した一郎彦を「人間の闇そのもの」と言及している)。またモチーフとなった白鯨の結末は、敵となる白鯨・モビーディックによって自らの足を失った捕鯨船の船長が、最期はその憎き鯨との戦いの末共に海底へ沈む、という流れである。この復讐心から身を滅ぼすという元ネタの結末から察するに、仮に熊徹が助けに来なかった場合の一郎彦と九太の結末は、結局二人とも自らの闇に勝てず共倒れするという凄惨な運命を辿っていたと言える(実際九太は再度一郎彦と対峙した際に、自らの胸に一郎彦を取り込んでそこに剣を突き刺し彼と運命を共にしようとした)。なお、同監督の前々作である『サマーウォーズ』では、鯨は守護神として登場している。
- 青年期の一郎彦の体格は多々良曰く九太よりやや身長が高いものの、彼と比べるとかなりの痩身で色白である。これに関しては、自身の不遇な境遇に対する精神的なストレスが影響しているのではないかとファンの間で考察されている。
- 幼少期の彼の声優を担当した黒木華氏は、監督の前作・『おおかみこどもの雨と雪』でヒロインの一人である少女期の雪を、次作である『未来のミライ』では中学生のミライちゃんをそれぞれ担当している。