「いい息子だ、行くぞ」
概要
CV:山路和弘
バケモノ界屈指の大都市・渋天街の長・宗師の次期候補者の一人。
現宗師・卯月と並ぶ渋天街の人格者であり、街に於いては彼に次ぐ権限を持つ。
次期宗師の最有力候補者であったが、同じく候補者の熊徹が人間の子供・九太を弟子に迎え彼と切磋琢磨した後、宗師として相応しい器を有したことにより下馬評が変化したことで、彼とは互いを讃え合いつつも宗師の座を巡って覇を競うこととなる。
ちなみに角界には江戸時代後期と昭和中頃に「猪王山」(読みは「いおうざん」)という四股名を冠した力士がそれぞれ2名実在(参照①、参照②)しているが、無論偶然の一致で本作とは無関係である。
キャラクター像
獅子をも思わせる豪壮な黄金の鬣と牙を誇る巨躯の猪のバケモノ。
周囲を常に思いやり、誰に対しても物腰柔らかに接する謙虚かつ慈悲深い性格で、街の議員を務めている他、主宰している「見廻組」は警察活動の一部を担っている。その誇り高さから息子二人を始め大勢の住民たちから多大な尊敬を集めている。次期宗師に立候補した理由も、その立場への執着心ではなく周囲からの推挙に応じたためである節が強い。自らの能力を誇示することもせず、息子二人に対しては「力は見せびらかすのではなく優しさのためにある」と教示している。
街では乱暴且つ常識を弁えない気質である故に住民たちからは快く思われていない熊徹に対しても気さくに接しているが、劇中で初めて2人が対面する場面では多忙の身であるにもかかわらず猪王山の方から気軽に彼に声を掛けており、対する熊徹も快く返事を返していることから、以前より交友関係にあったことが示唆される。
その慈悲の念を向ける対象は一般のバケモノから疎んじられている人間も例外ではなく、若かりし頃に人間界を訪れた際には路地裏に遺棄されていた一人の人間の遺児を不憫に思い情けをかけている。
しかし太古にバケモノが人間の持つ"闇"と呼ばれる存在を恐れその交わりを絶った史実から、バケモノと人間は一切交流せず別々に暮らした方が双方のためになると考えており、熊徹が九太を弟子にしようとした際はそれを必死で引き止めようとした(尤も、これに関しては別の意図もあったと思われる)。
武芸の実力も渋天街随一であり、同じく実力者である熊徹とは互角に渡り合える。決闘の際は、相手が誰であっても礼儀作法と敬意を忘れず開始前に必ず一礼をする。武芸のスタイルは形に沿ったものであると言え、後述のように体得には専用のフィールドが必要になると思われる。ただし熊徹のような形に囚われない武術に裏をかかれることもある。
自宅は街の東部にある丘の一等地に所在し、渋天街屈指の美術館を思わせる大豪邸である。もっとも、これは自身の力を誇示するためというよりは、彼の自宅が「見廻組」の稽古場や事業所、多数の弟子や従業員たちの社宅を兼ねていると思われ、実際の家族の生活スペースは全体の極一部である可能性もある。
家族を大切に想う一方で日頃より街の執政に尽力しているために家庭とあまり向き合えていない。そのため、常日頃から九太と触れ合っている熊徹を何処か羨望している節がある。
こうしたことから双璧を成す熊徹とはあらゆる面で対照的であると言えるが、一方で権力や物欲に対する拘りはない他、バケモノからは奇異の目で見られる種族を育てているなど、共通した点も見受けられる。
最終的に次期宗師を正式に決する闘技試合で、熊徹と熱戦を繰り広げた末惜敗。試合後、九太と勝利を喜び合う熊徹の姿を見て記事冒頭の讃辞の言葉を二人に送った。
しかし彼の敗北は、その誇り高さが裏目に出たことを起因し、これから起こる惨劇の引き金となる。
関連イラスト
関連タグ
陣内栄、花(おおかみこどもの雨と雪)…上記の通り、監督の前2作にて猪王山と共通点のあるキャラクター。