概要
国鉄が1977年より新製・投入した普通列車用客車。新製時の塗色から「レッドトレイン」の通称がある。
登場経緯
夜行列車や波動用ならまだしも、今更客車の新製とは時代に逆行した観は持たれたが、それまで使用されていて老朽化が進んでいたいわゆる旧客の置き換えが焦眉の急であったことと、貨物列車の削減で余剰になった機関車を転用して、旅客列車の増発を図ろうという意図が主眼である。
また当時、架線下ディーゼルも多数走っていた。しかしこれらは長編成になればなるほど機関台数が増え、朝晩のラッシュ時のみ動くだけの一般形車両では気動車が得策と言えない状況があった。
収支計算の結果、直流電化では12両以上、交流電化では10両以上、非電化では5両以上で客車のほうがこの様な用途には適する、と判断された。あくまで「ラッシュなど極一部の時間帯のみ走る車両」という限定付きである。
かくして50形・51形の旅客車だけで953両が製作された。
荷物車・郵便車は老朽車の取替であり、構造は共通するものの経緯が異なる。
構造
一応「新型客車」に分類され(しかも国鉄客車としては最後発である)るが、安全上の要請としてドアを自動として車掌の管理としている以外、照明・暖房などのシステムはむしろ旧型客車のほうが近い(車軸発電の直流電源による照明、機関車供給の熱源(蒸気または電気)による暖房など。自動ドアの動力である圧縮空気も機関車供給で、客車自己完結型ではない)。
コストの兼ね合いもあり全て非冷房車として製造されたが、屋根高さ・半径は集中型クーラーも搭載可能な寸法で製作された。但し後年の冷房化改造車に一般的な集中型クーラー(屋根中央に大型1基)というものは存在しない。
50形は本州以南用でユニット式2段窓、51形は北海道用のためユニット式ではない二重窓で製作された。
上述の通り時間的に空いている機関車を活用し、ラッシュ時限定で通勤輸送に使う車両である。車体の基本断面も同時期の105系・119系電車と極めて類似する。
しかし、それらにステップを取り付けたような通勤型に特化した車両はついぞ現れず、車体構造としては長距離型のままである。
民営化後
しかし、本来の仕業である普通客車列車もJR移行後は、そもそも客貨で会社が別になり、機材の共用のメリットが失せてしまった。ワンマン運転が不可能という地方線区ならではの事情もあって、電車化・気動車化が進展し、急速に勢力を減じ、2002年11月一杯で津軽海峡線の快速「海峡」を最後に定期運用から撤退した。現在はイベント列車用に改造された一部車両が残っている。このほか、真岡鐵道が「SLもおか」用にJR東日本から譲渡を受けた3両が現役唯一の原型車両となっている。
気動車化改造・イベント改造
JR化を前後して北海道向けの51形の一部が気動車に改造(キハ141系)された(JR西日本でも同様のキハ33が2両存在した)。この手の気動車化の元客車としては割と長い期間活躍したが、2012年の札沼線の電化で余剰となった。
他線区に転用・海外譲渡された一部以外は廃車・解体と思われたが、さらにその一部はJR東日本がSL銀河用客車として、C58蒸気機関車の客車兼補助動力車として改造された。
50系・・その他の50系