概要
国鉄が民営化して翌年の1988年に、50系客車を気動車に改造した車両。
急速な電車・気動車化に伴い製造からさほど年数が経過していないにもかかわらず余剰となってしまった50系客車の活用案で製造された。改造にあたって窓や前照灯、尾灯、警笛、方向幕などを追加した。運転室は種車の車体を生かすため、半室式でワンマン運転対応とされた。台車はDT22など廃車発生品を使用し、ディーゼルエンジンは新潟鐵工所製DMF13HSを使用。
完全なる新造と比べてコストを削減し、余剰車両も有効活用できるのではという目論見があったが、ワンマン対応と運転室設置のため扉の移設、デッキの仕切りの撤去など予想以上に工数が多くコストがかかってしまった。
当初よりワンマン運転を想定するなど都市圏近郊への投入は想定していなかったとも考えられるが、ともすれば今度は便所が設置されていないという問題が生じる。
緩急車でありもとより車掌設備を備え、なおかつ便所も備えているオハフ51形を種車としたJR北海道キハ141系はコスト低減に成功し輸送力増強に貢献したのとは対照的に、本形式の改造は2両にとどまってしまった。本形式もオハフ50形を種車としていれば従来車の置換えに貢献できたのかもしれない。
便所がないことから1000番台に区分されているが0番台はない。
運用
製造時はアイボリー地に青帯の塗装で米子運転所に配置。境線、伯備線、山陰本線で活躍した。
その後鯛や水鳥のイラストに変更され、運用末期は境線特有の『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターイラストに変更された。
2004年に鳥取鉄道部西鳥取車両支部に転属。朱色5号単色(首都圏色)に変更される。便所を備えていないためキハ47形0番台と2両編成を組み山陰本線の浜坂駅~鳥取駅間に投入された。
2010年3月に運用終了、廃車となった。
1001号車が津山まなびの鉄道館に保存されている。