いすゞジェミニ
まちのゆうげきしゅ
概要
1974年11月に初代モデル(PF50/60型、PFD60型)の発売を開始した。1963年から製造・販売が行われていたベレットを置き換える形として登場した、…はずなのだが、実はベレットの生産・販売打ち切りは1973年10月。1年もブランクが空いてしまっているのだ。
さらに、当時資本・業務提携していたアメリカの自動車メーカー・GMは、「ベレット作り続けていーじゃん!」と主張していたのに対し、いすゞは「もういいかげん、ベレットの生産打ち切って新しい乗用車作りてーんだよ!こちとらは!!」と主張した。そこでGMは「だったら、うちの「T-Car」(ヨーロッパの子会社のオペル・カデットCをはじめとする小型世界戦略車)をお前なりにアレンジして売れや」と言うことになり、その結果生まれたのが初代ジェミニであった(この時点でもエアコンの開発・オプション設定をするなど日本向けの改良を行った)。なお認可上の問題等から、発売開始からしばらくは「ベレット・ジェミニ」と名乗っていた。
ベースとなったカデットCは、トヨタで言えばカローラクラスの車であったが、いすゞの手持ちのエンジン(1.6リッターのG161型)故に、コロナクラスの車となった。
ボディータイプは4ドアセダンと2ドアクーペが設定されていた。
オーストラリア向けに「ホールデン・ジェミナイ」という名前で輸出されたことがあり、韓国向けにも「セハン・ジェミニ(後にデーウ・メプシ)」の車名でライセンス生産された。
1979年まではカデットCの日本版と言える存在だったが、カデットCが消滅(前輪駆動のカデットDに交代)したこともあってか独自の展開をすることになり、フロント周りのリニューアルと共に新開発の4FB1型ヂーゼルエンジン搭載車と117クーペから引き継いだG180型DOHCエンジン搭載車(=ZZ/ダブルズィー)を設定した。
また117クーペの後継車となったピアッツァは、この車がベースとなった。
1985年に後述の2代目が登場したはずだが、一部車種(主にヂーゼルエンジン搭載車とZZ-Rのセダンが中心〔この時点ではクーペは廃止〕)に関しては、なぜか1987年1月まで製造・販売が行われている。
そして三菱ランサーEX・ターボと共に、ジェミニZZはモデル末期ながらも「最後の白鳥の歌」を謳歌した。
1985年5月に、事実上の2代目であるFFジェミニ(JT150/600型)が発表された。ヨーロッパテイストにあふれた3ドアハッチバックと4ドアセダンが設定された。
『007』シリーズなどを手掛けたスタントマン・チームによるカースタントを多用したド派手なCMはパロディも出た程に大きな話題となった(キャッチコピーは「町の遊撃手」)。
ホット・バージョンとして「イルムシャー」(旧西ドイツのチューナーに調整してもらったもの、メインイラストも参照)と「ハンドリングバイロータス」(恐れ多くもイギリス・ロータス社にいじってもらったもの)が存在した。
実はイタリアのインダストリアルデザイナーのジョルジェット・ジュジャーロ(ジウジアーロ)がデザインを手掛けたものの、いすゞ側がフロント部分をいじり倒したことにジュジャーロがブチ切れてしまったため、ジュジャーロのデザインであることが公表出来なくなってしまった。道理で3ドアハッチバックのデザインが、同じジュジャーロが手掛けた(初代)ピアッツアに似てる訳である。
4年10ヶ月の間に、約75万台生産されたが、結果、いすゞの乗用車史上最大のホームラン作となった(初代ジェミニは約77万台生産されたが、生産期間は12年3ヶ月に及んでしまったので、それを考慮すること)。
1990年3月に3代目(JT151/641型)に交代。元々は4ドアセダンのみだったが、途中で3ドアハッチバックと2ドアクーペも追加された。
かなり凝ったリアサスペンションを採用したが、モータースポーツでは効果を発揮した一方で普通に使うには使いづらいものとなってしまった。また、GMの意向が強く表れてしまったデザインを採用している。そのせいか、始めの頃はそこそこ売れ行きはよかったが、なぜか売れ行きが急落してしまう。結果、いすゞは「もう新しい乗用車開発するのやーめた!!」となってしまった。1992年12月のことである。
そして1993年7月、生産・販売を打ち切ったのである。
キャッチコピーは「才な車」なのだが、いすゞにとっては「災な車」になってしまった。
以後、ホンダドマーニのいすゞ版として販売されたものの、2000年9月にドマーニの製造・販売が打ち切られたことに伴い、それに合わせる恰好でこのジェミニも廃止された。
ところで・・・・・・
ジェミニとは本来「双子座」という意味。転じて、「いすゞとGMのパートナーシップ」という意味を込めて命名した・・・・・・・・・お前はダイハツ(コンソルテでやらかした)か!?
自社生産を断念してからは「いすゞといすゞ車オーナーとの信頼関係」という意味にすり替わっている。決して「いすゞとホンダのパートナーシップ」では無いので念のため。