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騎兵の編集履歴

2019-11-29 09:11:18 バージョン

騎兵

きへい

騎兵とは馬等の騎乗可能な動物に騎乗し、戦闘を行う兵種。機動力や衝撃力を生かした戦闘を行う。

「騎兵とは、これだ」

秋山好古は、講義で騎兵について説明する際、素手で窓ガラスを叩き割り、動物を使う騎兵の打撃力と脆弱さを説明した。


概要

英語では「Cavalry」「Horsemen」あるいは「Cavalryman」「Dragoon」「trooper」など。

騎兵とは、馬等の騎乗可能な動物(ラクダ、ゾウ等)に騎乗し、そのまま戦闘を行う兵種を指す。日本語では騎士、騎馬ともいう。


武器の他、寝具・食料などの荷物を背負っている歩兵と違い、軽装である。

(ただし、現代の軍隊の歩兵は中世と比べれば自動化され、全て軽装歩兵と言える。)

歩兵より高い位置にいる馬上の利、重量を活かした戦闘を行う。


大別して軽装の機動力を生かし、偵察や奇襲、追撃、背面や側面に対する攻撃を行う軽騎兵と重装備による高い防御力を生かし、敵陣に対して突撃を行う正面衝力を担う重騎兵の2種に分けられる。

また近世に入ると両者の中間的な扱いの竜騎兵が登場した。さらに大砲を引っ張って素早く行軍する騎馬砲兵という珍しい兵種も取り入れられた。


類似する兵種として移動は騎乗で行い、戦闘時には降りて徒歩で行う「下馬騎士(乗馬歩兵)」が存在する。これは鐙が発明される以前(鐙が無いと馬から落ちてしまう)、あるいは指揮官の判断により奇襲を目的とした作戦、地面がぬかるんでいる時などに行われた。

歴史

騎兵は、紀元前から近世にかけて、機動力や突破力、衝撃力から、戦場の花形として活躍したが、何より本能に従う動物に頼らなければならないという重大な欠陥(※特に先端恐怖症が致命的で、どんなに訓練をしても槍衾に突っ込む様なことは絶対にできない)があった。

また車など発達による自動化に伴い、現代の軍隊では儀礼的な役割、警備などに落ち着き、主力として戦場に投入されることは無くなった。

発生

古代より馬は、軍用獣として用いられたが、はじめは馬車の上に兵士が立って弓を射る戦車(チャリオット)が基本で現在のように馬に人が騎乗する兵種が発達するのは、後になってからである。

この様子は、エジプトファラオ(皇帝)ラムセス大王(ラムセス2世)がカデシュの戦いを描いたアブシンベル神殿の壁画などで見られる。この戦いは、歴史上、はじめて公式の戦闘記録が残された戦闘として言われ、戦車部隊同士が激しく戦った。


馬の上で戦闘を行うのが困難なのはいうまでもないが、紀元前865年頃のアッシリア騎兵のレリーフ(トリノ、マダマ宮殿所蔵品)から見ると当時、足を固定する鐙、鞍、鞍布、拍車なども発明されていなかった。

(ただし芸術家による創作の可能性も指摘されており、史跡として引用するに値しないという意見もあり)

この時代から乗馬に慣れ、馬を養うことが出来るようなイラン高原や中央アジアの遊牧民だけが騎兵を用いて戦った。また当時は剣や槍などの鉄器も普及していなかったため、弓騎兵が基本であり、騎士同士が騎乗のまま戦うことはあり得なかった。

この時代の騎兵は、3種類に分けられ、槍を投げる、弓を射る、槍で敵歩兵を追い込む役割が与えられた。これらは全て主力の重装歩兵(ホプロン)に次ぐ補助的なものであった。


しかし紀元前490年頃、メディア王国で大型馬ニサエ馬(Nisean horse)の品種改良が進み、大きな鎧を装備した騎兵が発達した。中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年頃)やアレキサンドロス大王の遠征(紀元前336年~紀元前326年頃)で、これら騎兵を主力とした戦闘が繰り広げられ、軍事技術の大きな転換点となった。

特にローマ共和国とハンニバルのカンナエの戦い(紀元前216年8月2日)、ローマ共和国とパルティア王国のカーリーの戦い(紀元前53年)で騎兵は目覚ましい活躍を果たし、歴史に残された。

逆に戦車(戦闘用馬車)は、敵を突破する役割を奪われ、パレードなどで用いられるようになる。

紀元前225年、北イタリアで行われた古代ローマ共和国とケルト人のテラモンの戦いがヨーロッパにおける戦車の最後の記録となり、それ以降は時代遅れとなった。


ただし、ローマ帝国は広大な領土を移動するにあたり、街道を整備し、歩兵に荷物を携行させて行軍するというシステム(マリウスのロバ)を採り、重装歩兵を主力、騎兵は偵察、前哨戦などあくまで補助的に過ぎなかった。

これは馬の餌、不慣れな場所に神経質な動物を連れて行くことなど、莫大な負担を行軍に強いるためであり、何度も騎兵に手痛い目にあっても改革することはできなかった。しかし騎兵を過小評価していた訳ではなく、素早く行軍するために負担を減らす目的を選んだだけで敵を殲滅する切り札としても騎兵を温存した。

騎兵の春と衰退

広大な草原地帯を持つ中国、中央アジアに比し、ヨーロッパは貧弱で馬も高価になり、特に騎兵用の大型馬を相当数飼育することは難しかった。またローマ帝国が崩壊(476年~480年)すると歩兵の装備も脆弱になり、数を揃えることもままならなくなった。似た理由で日本でも騎兵に特別な価値が求められるようになる。これらの理由から少数の騎兵の価値が増し、社会的にも高い地位を占めるようになった。

騎士道・武士道と呼ばれる考え方、単なる戦闘員ではなく美徳や名誉を帯びる身分として騎兵は、軍事上の兵種としても文化的にも爛熟の時代を迎えた。

特にこの時代、モンゴル帝国の伸長(13世紀~14世紀)は目を見張るものがあり、世界史に大きな足跡を与えた。


しかしこれらは、歩兵の役割が相対的に減衰したに過ぎず、騎兵に新しい改良や戦法が加わることはなかった。次第にローマ帝国崩壊後の混乱が止み、ルネサンス期(13世紀~16世紀)に入ると火砲の発達や経済状況が改善され、騎兵の役割も変化が訪れ始めた。

ルネサンス期は、ローマ崩壊後の秩序が回復した時代であり、二つに分かれた旧帝国領、ヨーロッパと西アジア(イスラム教圏)の間で交易が盛んになり、経済が振興されると共に火薬・羅針盤・活版印刷術など中国の先進的な技術が流入し、ヨーロッパでは大航海時代の原動力にも繋がる新しい活気を呼び込む時代となった。


騎兵が全く改良されない間、歩兵は騎兵に対抗する戦闘技術・戦法の考案を繰り返した。

英仏の百年戦争で展開されたクレシーの戦い(1346年8月26日)では、イングランド軍がスコットランド独立戦争で起きたバノックバーンの戦いの手痛い敗北から学んだ戦法であり、ロングボウの一斉射撃で騎兵を叩きのめすという戦果を挙げた。

オスマン帝国では、皇帝直属の親衛隊として銃を装備した歩兵からなるイェニチェリが編制され、銃や大砲の役割が騎兵を上回るようになった。1453年5月29日にはオスマン帝国は、東ローマ帝国を滅ぼしたがコンスタンティノープル攻略に使われたウルバンの巨砲が有名である。

(しかし実際のウルバン砲は命中性・威力共に問題にならず、あまり有効ではなかった)

スイスでは、歩兵を守るために地面に固定されていた杭(パイク)を手で持ち歩くようにしたパイク歩兵方陣が考案され、パイクを装備した歩兵100人が10×10の方陣を組んで騎兵を撃退するという戦法によりイタリア戦争(1494年~1559年)で活躍した。

(この時代の歩兵の方陣は、まだ素早く方向転換でき、騎兵を寄せ付けなかった。)

15世紀にはロングボウより習熟が簡単な大砲やクロスボウが普及し、ヨーロッパでは歩兵部隊が主力になった。スペインのテルシオ(歩兵の隊形)の登場により、騎兵は補助的な役割に後退した。

しかしナポレオン戦争(1803年~1815年)では、歩兵部隊はどんどん兵員数が増え、隊形は巨大化し、正面への突撃はほぼ間違いなく失敗したが、側面と後背は素早く反応することが出来ず、騎兵の攻撃に脆弱になった。また大砲は、動きの遅い歩兵部隊には致命的な打撃を与えることができたが、騎兵には弱かった。

このため騎兵の価値が再び上昇し、欠かす事の出来ない役割を果たしていった。


歩兵の役割が向上したのは、火器の発達だけでなく騎兵には熟練まで時間がかかり、馬の飼育にも予算を要したのに対し、銃兵は安価な費用で補充できる点にあった。

小型の火砲、ピストルやハンドキャノンなどを装備した騎兵なども発達したが、時代の流れには逆らえなかった。

近代騎兵

19世紀中盤から後半にかけて起きた後装式小銃の登場と進化、19世紀末から20世紀初頭にかけての機関銃の発明と採用の拡大で、背が高く装甲を持たない脆弱な騎兵は機関銃の良い的に他ならず、次第に活躍の場を減らしていき、主に敵歩兵への奇襲や掃討に用いられるようになった。


この時代の騎兵は、4つの種類に別けられる。

  • 重装騎兵(Cuirassier)

16~17世紀に発達し、20世紀初頭までヨーロッパの一部の国が所有していた。ヘルメット、ボディアーマーなどで身体の4分の3を保護している。メインの武器は、サーベルでありピストルは補助的な役割を果たしたが共に敵に密接した状態で使用し、ピストルで狙撃するなどということはなかった。

時代が下がると鎧の部分が少なくなり、最終的には消滅した。

  • 竜騎兵/中騎兵(Dragoon)

歩兵を馬で移動させるという兵種だが、騎兵としても扱われる。剣と火器で戦うが重装騎兵より大きなライフルで武装しており、ドラグーンという名前も装備していたラッパ銃の名前に由来した。

  • 軽騎兵(Hussar)

語源はポーランドの重装騎兵が由来とされているが定かではない。銃を装備した軽騎兵を指した。

  • 軽騎兵

単にLight cavalryと呼ばれる。剣や槍で武装した騎兵。


これらは、19世紀初頭には、まだ姿を見せたが、すぐに縮小されて行った。

第一次世界大戦におけるトラックの普及と、なによりも特性を同じくする戦車を代表とする装甲戦闘車両の登場で戦場における活躍の場を取って代わられるように失い、騎兵は戦場から姿を消していった。

もっとも第二次世界大戦の頃までは各国で少数の乗馬騎兵が存続しており、歩兵に対して突撃を行い戦果を挙げた事例もいくつかある。この時代に銃が自動連射式になったと言っても弾薬を無尽蔵に戦場に供給できるのは、アメリカやソ連などの大工業国に限られた。また現代ほど道がアスファルトやコンクリートで舗装されていた訳ではなく、馬の方が車より足回りに利があった。そのため現実的には騎兵が活躍する機会がなかった訳ではない。

ドイツのポーランド侵攻時、「ポーランド軍はドイツ戦車相手に騎馬突撃を行い玉砕した」などという噂も流布されているが、これは嘘である。これはドイツ戦車の近くにたまたまポーランド騎兵の死体が転がっているのを見て、ドイツの従軍記者が脚色したものらしい。当時実際にポーランド騎兵による突撃が行われているが、相手は主に歩兵であり、成功した事例もある。

ブラウ作戦ではイタリア軍のサヴォイア竜騎兵連隊600名が、2000名のソ連軍に対しサーベル突撃を敢行、勝利している。これがヨーロッパにおける最後の大規模騎兵突撃の成功例となった。世界史上最後の騎兵突撃は日本陸軍の第4騎兵旅団が老河口作戦で行なったものである。


現在では騎兵は戦闘に用いられることはなく、もっぱら儀礼的用途か、警備用に用いられる。


現代における騎兵

現代においては、主に装甲車(装甲兵員輸送車または歩兵戦闘車)やヘリコプターを用い、

迅速に展開、撤収する部隊に「騎兵」の称が用いられる。名誉称号的に戦車に改編した師団などが騎兵師団を名乗り続けることもある。


また、名称としての存続とは別に、自動車が通りづらい狭路や悪路での治安維持活動においては、

本来の意味での騎兵が未だに重要な役割を果たしていることがある。


騎乗している事からイメージしやすい踏破性、小回りの良さの他、

・騎乗者が高所から周囲を見渡すことができる

・騎乗者がわき見・よそ見をしていても、騎乗動物が自分の判断で回避してくれるので事故が起きにくい

・騎乗動物の巨体が威圧感を生み出す

・移動手段に持ちいるのが生物であるため、爆破など車両に対して行われるような破壊活動の対象となることがほとんどない

・・・等々、様々な利点が存在するからである。


また、これらの利点から山野における遭難者の捜索に駆り出されることもある。


騎乗動物について

実在する騎兵は、を騎乗動物としていることが一般的で地域によってラクダやゾウが騎乗動物として選ばれるが、創作物においては、馬に限定されず、大型の犬や鳥等、馬の替わりになる様な動物、中には恐竜ドラゴン等の想像上の動物なども騎乗動物として登場する。

更に、馬等を模したロボットや、サイボーグ化された動物に騎乗するもの、武装を施したり、装甲で強化したバイクに搭乗したものを、騎兵と称する場合もある。


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