名古屋城
なごやじょう
概要
三の丸には愛知県庁や名古屋市役所の帝冠様式の庁舎が建っており、重厚な屋根瓦がお城感を濃厚に醸し出している。
現在の天守は鉄筋コンクリート製であり、エレベーターが設置されているため、一部の城マニアから評判が悪い。ただし現在の天守も復元されて60年以上経つ歴史的な代物であることを忘れてはいけない。木造で復元する計画があるが、難航している模様。
城下には金シャチ横丁という商店街があり、観光客向けの店が集う。
いわゆる「武将隊」の先駆けとなった、名古屋おもてなし武将隊が活動しており、国内外の客から好評を得ている。
歴史
戦国時代、この地には那古野城(なごやじょう)が存在しており、砦のようなものだったらしい。一時期織田氏が所有しており、織田信長が生誕した場所だとも言われている。
那古野城は廃城となるも、江戸時代最初期に徳川家康の主導のもと、名古屋の町とともに新しく造られた。
江戸城、徳川が再建した大坂城と同じく、巨大石垣と巨大櫓の質量感が圧倒的な大城郭であった。町を取り囲む総構も掘る予定だったが、掘る前に大坂の陣が終了したので中止している。
天守に据え付ける火災避けの鯱は、通常の城では粘土製だが、名古屋城では黄金(金箔)を貼っており、瓦も装飾と重量軽減を兼ねて銅板葺きであった。
明治時代になると全国各地の城が解体されていくなか、名古屋城も破棄される予定であったが国内外から保存を求める声が上がったため、天守を含めて保存された。当時は姫路城と共に国宝の第一号に指定されるほどの文化財であった。
本丸は宮内省が管理し「名古屋離宮」と称されたが、敷地は軍用地として使われていた為、第二次世界大戦の空襲で、本丸御殿や天守は焼け落ちてしまう(本丸御殿の障壁画は最優先で避難させて無事だった)。
戦後に天守(鉄筋コンクリート製)とともに復元された。
2018年、戦時中に焼失してしまった本丸御殿は木造復元された。
創作での扱い
何度も破壊されており、モスラ対ゴジラではゴジラに破壊される、大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオスではギャオスに破壊される、ゴジラvsモスラではバトラによって破壊されている。