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岩隈久志の編集履歴

2020-10-19 21:08:02 バージョン

岩隈久志

いわくまひさし

東京都出身のプロ野球選手。ポジションは投手。

プロフィール

所属読売ジャイアンツ
出身東京都東大和市
生年月日1981年4月12日
身長・体重191cm、93kg
投球・打撃右投右打
守備位置投手

経歴

1999年のドラフト会議にて近鉄バファローズに入団。2001年の優勝にも貢献し、日本シリーズでも先発登板している。

2003年から2004年にかけて連続15勝し、「バファローズ最後のエース」ともなった。


バファローズが球団合併で消滅し、当初はオリックス・バファローズに入団する予定だったが、本人がそれを拒否し、東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍する。

2005年からはケガなどで不調に陥るが、2008年に復活。21勝を挙げ(20勝したのはパ・リーグでは2003年の斉藤和巳以来)最多勝を挙げたのをはじめ、最多勝や最優秀防御率、リーグMVP(この年楽天は5位)や沢村賞など先発投手部門のタイトル総なめ状態であった。2009年WBCでも先発として活躍している。

2010年オフに、大リーグ移籍を目指したポスティングシステムを行使。一度は落札が決まるが交渉がうまくいかず、決裂。2011年も楽天でプレーすることが決まった。


「楽天のエースは岩隈か田中将大か?」と議論が分かれるところだが、「エース」の証明である開幕投手の座は、岩隈が球団創立以来守っている(2006年も開幕投手と決まっていたがケガで直前に回避している)。


2011年オフにFA宣言で大リーグシアトル・マリナーズと契約。

2015年8月12日、オリオールズ戦に先発出場し、3四球7奪三振でノーヒットノーランを達成。日本人選手としては、2001年の野茂英雄ボストン・レッドソックス)以来2人目、2015年のメジャーリーグ・レギュラーシーズンでは4人目の快挙となった。


2018年シーズン終了後マリナーズを退団。読売ジャイアンツとの契約に合意し、日本球界へ復帰が決定。

しかし、肩や上半身のコンディション不良が長らく続いたため、一度も一軍に昇格できず、二軍での登板機会もわずか数試合に留まった。その後もコンディション不良から克服できる望みがなかったことを理由に、2020年シーズン限りでの引退となった。

岩隈の引退に伴い、楽天に移籍した近鉄選手、並びに球団設立時の選手は一人もいなくなった。


選手としての特徴

150km/hの速球はないが、コントロールでコンスタントに勝ち星を挙げる(2005年〜2007年は岩隈の怪我、2段フォーム禁止による矯正、設立当初の楽天であったことを考えると仕方ない)。


2017年シーズン終了現在、近藤一樹(2002年入団)・坂口智隆(2003年入団)と共に大阪近鉄バファローズに在籍経験のある選手だが、2001年の優勝を経験しているのは岩隈だけであるため、現役唯一の近鉄V戦士でもある。


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