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MiG-25の編集履歴

2011-11-12 12:26:44 バージョン

MiG-25

みぐにーごー

ミコヤン・グレヴッチ設計局が設計した、大型の迎撃戦闘機。時速3000km(マッハ2.83)の俊足を誇り、かつてはソビエト防空軍の主力を担った。また、防空型のほかに偵察型があり、採用国は少ないながらも輸出された。テルアビブ上空をマッハ3.2で偵察したのは、この機であるとも言われている。(無人偵察機との異説もある)ちなみに、左のイラストは偵察機型である。

A-12を迎撃せよ!

MiG-25開発の契機は、最高マッハ3で飛行するA-12の開発計画を察知した事から始まった。

1960年5月にはU-2偵察機ソ連領内に侵入し、撃墜される事件があったため、スパイ機への対抗は急務であった。

その上、最大速度マッハ3の偵察機が登場するのだからたまらない。

かくして、MiG-25は時速3000km(マッハ2.83)の防空戦闘機として、開発が急がれる事となった。


もちろんA-12専用、というわけではない。

当時すでにB-70の開発は中止されていたが、B-58やA-5のようなマッハ2級の爆撃機が続々と登場していたため、高速の迎撃機は必要だったのだ。


A-12とは

CIAがロッキードの秘密開発部門「スカンクワークス」に開発させたスパイ偵察機。

「A」の符号が付いているが、これは攻撃機ではない。

Aはスパイ機の極秘開発計画「アークエンジェル」のコードネームを意味し、

A-12とは、この計画で12番目の開発プランという意味である。

迎撃機YF-12を経て、後にSR-71となる。

総生産数はA-12、SR-71を合わせて48機。

最大速度は高度24000mでマッハ3.2。


初めての時速3000km、そして困難。

1961年2月に開発が開始されたが、簡単な話では無かった。

なにしろ時速3000km(マッハ2.83)など、ソビエトで初めてなのだ。

その苦悩を表すように、試作型MiG-25であるYe-155(E-155)は形態を何度も変えている。

列挙すると、

・翼端チップタンクの廃止

・主翼に下半角の付与

などなど、空力でも苦労した事がうかがえる。


また、マッハ3に近い飛行には熱も問題となる。

空気との摩擦熱やエンジンの熱だけではない、機体の前縁で発生する圧縮熱も問題である。

非常な高温となるため、アルミでは融点に近づいて強度を維持できない。

そこで熱や伸びに強く、なおかつ軽いチタンで製造されているとの観測がなされた。

実態は後述のとおり、機体の殆どはスチール(つまり鉄)であり、

チタンの使用はエンジンノズルなど、わずか6%に留まった。


これをエンジンのパワーで、半ば強引に加速しているのである。

凄いのはむしろ、エンジンの方ではないだろうか。


脅威のレコードブレイカー

1967年7月9日ソビエト、ドモデドヴォ空港の航空ショーでの事。

この航空ショーではMiG-23やSu-17など、ソビエトの新型戦闘機が多く公開された。

しかし、その中で最も注目されたのはMiG-25(Ye-155)である。

上空を高速で通過するだけであったが、そのインパクトは絶大であった。


参加したのは戦闘機型3機に偵察機型1機。

ベトナム戦争でミグに苦戦させられていた西側では、大騒ぎとなった。

見るからに先進的で、高性能な戦闘機だったからだ。

その後もMiG-25は飛行記録を次々に塗り替え、高性能のイメージを決定付けた。


イスラエル軍のレーダーで、テルアビブ上空を飛行するマッハ3.2のMiG-25が確認(異説あり)され、NATO軍やCIAは「フォックスバット」と命名してその秘密を探り続けた。

いっぽう、米軍も対抗できる機体の開発を急いだ。その完成形がF-15である。


とある飛行士の憂鬱

謎のベールに包まれた最高機密は、誰もが予想だにしない事態で明るみに出た。

1976年9月6日、日本の領空に突如MiG-25が出現し、空自のレーダー網とスクランブル発進したF4EJの追跡をかい潜って、北海道函館空港に強行着陸したのだ。

パイロットのソ連防空軍中尉、ヴィクトル・イワノヴィッチ・ベレンコは祖国の生活(エリートではあったが、生活は何かと窮屈で、夫婦間も冷え切っていた)に見切りをつけ、墜落を装ってMiG-25でアメリカ亡命を目的に日本にやってきたのだった。


ベレンコの亡命は受理され、MiG-25も米軍によって解体・分析された。

チタン製と思われた機体は一般的なスチール製(機体のなんと80%!!)で、マッハ3以上での飛行にも時間的な制限が課せられていた。

また機首に搭載された巨大なレーダーにも、当時既に旧式となった真空管が使用されていた。

真空管式はサイズのわりに性能で劣るが、

さらに大きなレーダーのサイズと、電波の出力で強引に実用としている。

(真空管は核爆発の影響を受けにくく、核戦争の想定なら当然という意見もある)


これらの調査から、MiG-25はドッグファイトを目的とした戦闘機ではなく、一撃離脱を極めた迎撃機だと判明した。

MiG-25の脅威とは、単なる過大評価だったのだ。

結局、いくつもの派生機が計画されたが、いずれもソビエトが実戦に使用することなく冷戦終結と共に役目を終えた。


しかし「マッハ3(近く)を発揮する迎撃機」は、防空軍にいたく気に入られたらしい。

その後、MiG-25はMiG-31に発展し、

Su-27と共に活躍している。

(その割にはかなり不遇なのだが)


海外組の活躍

非常な機密、また高価なので、MiG-25の輸出は極めて限られたものとなった。

数少ない輸出国(ワルシャワ条約機構を除く)は、

イラン・イラク・アルジェリア・リビア・インド・ブルガリア

がある。

こちらはいくつかの実戦を経験しているが、元々が迎撃・偵察を目的とした機体であるので、戦果についてはあまり聞かれない。

(航続距離も長くはなく、空中給油に非対応なのも大きい)


有名どころでは湾岸戦争の折に、F/A-18を撃墜した事が知られている。

またインドでは、偵察型のMiG-25RBがパキスタン奥地を強行偵察している。

(核開発疑惑のあったパキスタンの施設を偵察したと見られているが、インド政府はこの事実を否定している)


迎撃機と偵察型

MiG-25には、大きく分けて2つのバリエーションがある。

一つはMiG-25Pをはじめとする迎撃機、

もう一つはMiG-25Rに始まる偵察機である。


MiG-25P

MiG-25Rと共に、最初に開発された迎撃機がMiG-25Pである。

武装はR-40ミサイルを4基。

レーダー誘導型と赤外線誘導型を2基ずつ搭載する。

機関砲なし。


MiG-25R

ソビエト初の、本格的な戦術偵察機である。

巨大なレーダーを取り外して生まれたスペースに、偵察カメラ・電子偵察装置を備える。

戦闘機型とは主翼の平面形がわずかに異なる。

MiG-25Pと共に最初に開発される。

非武装。


MiG-25PD

ベレンコ中尉亡命事件の影響で開発が命じられた。

レーダーなどの電子機器は総入れ替え、空輸飛行の場合のみ増槽を携行できるようになった。

また、新たに赤外線スキャナーも装備された。

武装にも変更が加わり、新型の短射程ミサイルR-60(AA-8エイフェッド)を装備できるようになった。

迎撃機の輸出型もこのMiG-25PDだが、そちらは電子機器の質を落としている。

ちなみにMiG-25PDの型番は新造機にのみ適用され、

既存のMiG-25Pからの改修機はMiG-25PDSと呼ばれた。

試作・実験機としては、電子戦機の実験機MiG-25PDSL、空中給油の実験機MiG-25PDZがある。

武装はミサイルのみ。


MiG-25RB

MiG-25Rから切り替えられた型。

簡単ながら爆撃装備が追加され、爆撃にも使用できるようになった。

しかし、無誘導爆弾のみで何に使うつもりだったかは謎。

(当時のソビエトに、いわゆる「スマート爆弾」は登場していない)

RF-4Cのように核攻撃も出来るらしいが、詳細は不明。

装備違いでRBV、RBT、RBSなどがある。


MiG-25BM

MiG-25RBをベースとした防空制圧機。

F-4GやF-105F/Gのようなレーダー・ミサイル陣地狩りが専門。

レーダー逆探システム「ヤグアール(豹)」を備え、

Kh-58対レーダーミサイル4基で武装する。

生産数は100機にも満たないという。


さらなる発展型へ

ドモデドヴォで初めて公開されたその翌年、MiG-25の性能向上プランがスタートした。

この計画は、エンジン換装計画と共にMiG-31として結実する事になるが、

それはまた別の話である。

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