【注意】この記事には『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』のネタバレを含んでいます。
「世界の新たな創生、ネオンジェネシス」
「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」
概要
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』にてアディショナルインパクトの代わりに起こされたもの。上記のセリフは、ラストで綾波レイが残したものとなる。
『新世紀エヴァンゲリオン』の英語表記は「NEON GENESIS EVANGELION」となる。NEONはラテン語で「新しい」、GENISISは英語で「世紀」を意味する。つまりネオンジェネシスは、単純に言えば「新たな創世記、世界のはじまり」という意味になる。
発動までの経緯
碇ゲンドウは人類補完計画を推し進めていたが、それはユイに再び会いたいという個人的な野心によることからであった。この為ゲンドウは、エヴァンゲリオン第13号機でロンギヌスの槍を操り、「アディショナルインパクト」を起こし全人類の魂を肉体化し、ユイと再会すつことを企んでいたのである。
計画はあと1歩というところだったが、碇シンジは初号機をもってカシウスの槍でそれを阻もうとする。2人は虚構の世界の中で闘うことになり、シンジを後押しする為に葛城ミサトは、AAAヴンダーから新たな3本目の槍である「ガイウスの槍(ヴィレの槍)」を作り出した。
ガイウスの槍はユイの中に届き、ユイの意志によって、ユイと13号機をガイウスの槍で貫く。これによってアディショナルインパクトつまり、人類補完計画は失敗に終わる。
そうしてシンジは、代わりにネオンジェネシス(新たな創生)を行ったのである。
発動後の新しい世界
ここからはシンジから見た精神世界が描かれる。シンジは、アスカに対して「あの時は好きだった。」と打ち明け、アスカをあの頃のアスカへと救い出す。続けて、レイとカヲルも救い出す。
シンジの妄想ともつかない世界が消えそうになったところへ、眼鏡をとったマリが現れ、シンジを救い出し、何故か最後はシンジとマリが接近してエンディングへと向かう。
その直後、宇部新川駅のホームで大人になったシンジとマリが現れ、マリはシンジの首からDSSチョーカーを解除する。
向かいのホームには、レイとカヲルが2人で一緒に仲良さげに移り、アスカはベンチに座っていた。画面は実写映像に切り替わり、宇部新川駅の上空からマリとシンジを映しながらエンディングとなり、エヴァンゲリオンは完結を迎えた。
考察
ラストがマリだった理由
シンジと深い関係になるであろう人物は、レイもしくはアスカと予想されていたが、何とまさかのマリであり肩透かしを食らったような気分になった人は少なくないだろう。
しかしそれが「ネオンジェネシス(新たな創世記、新世界の始まり)」ということなのかもしれない。ループ説をとらずとも、学生時代に仲良かった2人が別れて、まったく予想もしなかった人と一緒になるというのはごく自然なことなのである。
ラストは、人との関係を避け続けたシンジも大人になり、新たな出会い、新たな世界を創れるようになったということを表現しており、人間の様々な可能性と未来への希望を表現している様にも見える。
旧劇場版との比較
旧劇場版のテーマは「絶望」だとすれば、全てに決着をつけ、過去ですら昇華した新劇場版のテーマは「希望」であり、これが庵野監督がやりたかったエヴァの結末なのではないかという考察が行われている。
新劇場版は、精神世界から新たな世界と現実を描き、予想していなかった結末でシンジとマリの2人に焦点があって終了している。これは現実では、常に偶然の連続で出会いや別れがあって、偶然が必然のような世界であることを伝えている。
一方旧劇場版では、アスカとシンジという学生時代に仲の良かった2人がどこまでも仲良しでい続ける、い続けてほしいという、現実世界ではかえって稀な出来事を描く。シンジが最後に意識のなくなったアスカにいつものようにバカにしてほしいと叫び、ラストでは非日常的な悲劇が描かれていた。
新劇場版と旧劇場版では、新劇場版のほうが、妄想ともメタファともつかない心理描写のような世界が続くのでついていくのが大変だが、現実というのはそういう不可解の連続で成り立っているという矛盾をも描いている。そう考えると、最後のマリとシンジが自然と入ってき、ラストで平凡な日常、希望が描かれている。