概要
ひとつのテーマを元に、どれだけ面白いイラスト(1コマ漫画。ただし例外もあった)を描けるかを競う番組だった。一部コーナーや特番の時は個人戦ではなく、2チーム(鈴木義司チーム対富永一朗チーム、レギュラーチーム対ゲストチーム等)に分かれての対抗戦を行う事もあった。
元々は東海三県ローカルの番組だったが、1977年7月から東京12チャンネルで放送を開始。以後東海三県や関東地方以外のテレビ局でも放送されるようになった。東京12チャンネルでの放送は1980年3月いっぱいで終了してしまったが、同年10月から日本テレビにて放送が「再開」され、最終回まで放送されている。
番組のタイトルロゴは18年間で4回変更されており、初代と2代目は「お笑いマンガ道場」と書かれた入道雲(2代目は「マンガ道場」の文字が黄色い)、3代目はメイン画像に使われているロゴ、4代目(番組末期)は3代目の「マンガ道場」の文字が緑色になった物がそれぞれ使用された。
司会者
4代目 桂米丸
初代司会者。ただし番組が日曜日の昼に放送されていた最初の1年間のみの担当であり、なおかつこの頃は東海三県ローカルだったため、「え、そんな人が司会してたの!?」と思われる人がほとんどなのではなかろうか。
柏村武昭
2代目司会者。番組が土曜日夕方の放送になった1977年4月から最終回まで勤め上げた上に放送途中でネット局が増えた事もあり、「この番組の司会者イコールこの人」と言うイメージが強いのではなかろうか。司会者就任から一時期はワッペン(初期は前述した入道雲が描かれていたが、後述するマスコットキャラのマガドン登場後はマガドンのイラストに変更された)の付いたブレザー(青色、茶色、灰色等があった)を着用していた。
元は中国放送(RCC)のアナウンサーで、退職後は1975年4月から半年間『オールナイトニッポン』火曜2部のパーソナリティを担当した経験を持つ。放送終了後に自由民主党所属の参議院議員として1期務めた。
回答者
富永一朗
『チンコロ姐ちゃん』等で知られる漫画家。初回から最終回までただ一人一回も休む事無く出演していた。フリップ2枚やフリップの表裏を使って2コマ(お題により3コマの場合もある)漫画を描いたりおっぱいのネタをやらかしたりしたが、やはり良きライバルである鈴木義司を「土管の中で暮らす人」や「アホウドリ(実在の鳥ではなく、顔が鈴木でそれ以外は鳥の架空生物)」等といじり倒すネタ(むろん鈴木はそのネタを見て苦笑い)が有名。
車だん吉
こちらも初回から最終回まで参加したが、腰痛療養のため出演を見送っていた時期がある。女性レギュラーと番組最後のおまけコーナーも担当していた。芸能人を取り入れたネタを得意としていた一方で女性レギュラーいじりや「俺って結構色男なんだぜ」ネタで共演者を呆れさせ、女性アシスタントの顔の特徴をいじり倒した(今ならセクハラと取られてもおかしくない)ネタをやらかしては当然ながら女性アシスタントの怒りを買って「悪かったな!」とばかりによりによってその特徴をデフォルメしたハンマーで1発どつかれたりしていた。ただし、『週刊漫画サンデー』(実業之日本社)で師匠の萩本欽一と組みコント57号として『欽ちゃんの4コマ漫画おまけ付き!』(後に『欽ちゃんの人生コントだよ!!』の題で単行本化)を連載した他『わんぱっくコミック』(徳間書店)に連載を持っていた時期があるほど漫画を描くのは上手い。
鈴木義司
『サンワリ君』等で知られる漫画家。初回からは参加してはいないが、最終回まで長らくレギュラーを務めた。富永による一連のいじり倒しに対し、自身を「豪邸に住み、大勢の人達の前でよく札束をばら撒くお金持ち」に描く見栄っ張りネタで対抗していた。さらに富永を「スケベでデブな貧乏人」や「お化けナマコ」等といじっては富永に「俺そんなにひどくねぇよ」とばかりにムッとされるのもお約束であった。番組内では蝶ネクタイをトレードマークにしていた。
女性レギュラー
エバ(元ゴールデン・ハーフ、番組初回~1981年3月)→秋ひとみ(1981年4月~1982年9月)→川島なお美(1982年10月~1989年9月)→森山祐子(現・森山ゆうこ、1989年10月~最終回)の4人が務めた。
よく言えば優等生的、悪く言えば当たり障りのないネタで柏村や視聴者を和ませた。ただし、川島は共演者(主にだん吉)をネタの中でいじる事がしばしばあったし、森山は音痴だった為に柏村やだん吉からその事をたびたびネタにされていた。
マスコットキャラクター
マガドン
秋が2代目女性レギュラーになった頃から登場した、手と目が付いたピンク色のUFOである初代マスコット。番組内で例題の漫画等を手掛けていたかすやたかひろがデザインを担当した。マスコット時代のおまけコーナーではマガドン型のボックスが登場し、その中から視聴者へのプレゼントが出てくる形式になっていた。
りゅうのすけ
1987年頃から登場した2代目マスコットであるピンク色のワニの男の子。彼の着ぐるみも番組中に登場し、回答者にフリップを配ったりする等アシスタント的な役割を担当していた。
主な出題形式
- ひらめきスピードマンガ:「頭に「う」の付く飛ぶ物」の様にお題にちなんだ物をゲストを含めた全員で1枚のボードに描いていくコーナー。良い答えにはレイが贈呈される(その状態で反対に悪い答えを描くとレイを没収されてしまう回もあった)。このコーナーと後述するスピード絵クションコーナーでの柏村はチアホーンを携帯しており、コーナースタート時等に鳴らしていた。
- 恐怖のしりとりマンガ:自分の番で風船が割れない様に気をつけながら、しりとり形式でお題にちなんだマンガを描いていくコーナー。当初は上記のイラストの様にボードに付いた風船が割れた時に描いていた人が失格のルールだったが、後に描き終わったら次の人へ風船付きのバトンを渡していき、順番が来た時に風船が割れた人が失格のルールへ変更された。
- ダジャレ○○:食べ物や地名等のお題にちなんだダジャレを取り入れたマンガを描いて発表するコーナー(マンガの内容が良ければチャイム音、悪ければブザー音が鳴る)。食べ物のお題の場合はチャイムが鳴ると題材に選んだ料理を食べる事が可能な形式の回もあった。
- スピード絵クション:ゲストが2名以上の回の3問目や新春特番『初笑いマンガ道場』時によく行われていたコーナー。お題をもらった代表者が何を描いているかを、残りのメンバーは制限時間の30秒以内に当てる(答えられない場合はボードに付いた風船が破裂する)。
- 「大変だ!」シリーズ:番組後期の3問目によく行われていた出題形式。回答者とは別のゲスト出演者とのあるやり取りの中で、話のオチの部分をマンガにして発表する。
- 「オー!ミステイク」シリーズ:番組後期の1問目によく行われていた出題形式。回答者は外国人に扮し、「オー!ミステイク」と言ってからある出来事での失敗をマンガで発表する。
余談
富永一朗と鈴木義司のイラストの応酬合戦は二人が駆け出しの頃からの盟友と公言して憚らない間柄である事からできたものだった。
事実、番組終了後での鈴木の死には富永は誰よりも肩を落として落胆し「もう一度二人でやりたかった」と無念さを吐露した程である。
その、富永氏も2021年5月5日に死去した。
外部リンク
- Wikipedia
- NEVERまとめ「懐かしの『お笑いマンガ道場』」
- Bin企画 -りゅうのすけの着ぐるみを製作した会社。
- 上記Bin企画公式サイト内りゅうのすけの画像(ちなみに、当サイトではひらがなではなく『竜の助』表記)
関連タグ
個別
関連作品・人物・会社
三谷幸喜:1980年代中頃に構成作家としてこの番組に参加。
すごいよ!!マサルさん:この番組にちなんだネタが作中によく登場していた。