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林家彦六の編集履歴

2021-07-09 17:22:46 バージョン

林家彦六

はやしやひころく

林家彦六は、落語家である。彦六の正蔵、またはトンガリの正蔵。

概要

大正昭和の落語家。

短気で曲がった事を嫌う理屈っぽい性格をしていた。そのためトンガリの正蔵とも呼ばれた。


経歴

本名:岡本 義

1895年5月16日生まれ、1982年1月29日没。


1912年、2代目三遊亭三福(後の3代目三遊亭圓遊)に入門し三遊亭福よしを名乗る。

1914年、師匠の扇遊亭金三への改名に伴い扇遊亭金八と改名。

1917年、師匠が4代目橘家圓蔵に弟子入りしたのに伴い、自分も圓蔵の弟子となる。

1918年、二つ目昇進し橘家二三蔵に改名。

1919年、3代目三遊亭圓楽を襲名。

1920年、真打昇進。

1922年、3代目柳家小さん一門に移籍。

1927年、4代目蝶花楼馬楽(後の4代目柳家小さん)一門に移籍。

1928年、5代目馬楽を襲名。

1950年、狙っていた5代目柳家小さんの名を弟弟子の9代目柳家小三治に取られたため、空き名跡だった林家正蔵を8代目として襲名。この名は7代目正蔵の実子である初代林家三平が襲名するはずだったが、時期尚早として見送っていた。

1980年、自分の死後に9代目正蔵を名乗る予定だった三平が先に死去したため、正蔵を三平の実家の海老名家へ返上し(2005年に三平の長男の林家こぶ平が9代目を襲名)、好きな映画から名前を取って彦六に改名。

1982年、死去。


エピソード

  • 三遊亭圓生とは天敵関係。昔からそりが合わずある事件をきっかけに完全な対立関係になった。だが芸の実力は認めている。
  • 逆に彼の弟子で自分以上に短気な全生(後の5代目圓楽)を気に入り、全生に圓楽の名前を譲った。
  • 上記の通り短気で弟子にも失敗すればすぐ破門を口にした。だがすぐ謝れば許し翌日にはケロリとしていた。
  • 8代目正蔵時代、高座名を一代限りという約束で初代三平から借りていたという義理から、弟子が真打に昇進した際には亭号を「林家」以外のものに変えさせるという方針を取っていた(例外的に、初代三平に可愛がられていた初代林家木久蔵(現在の林家木久扇)は真打昇進後も林家の亭号を名乗っている)。この方針は彦六改名時に撤廃した模様。
  • オフの日には英国調の洋服を着こなし、来客が来ればコーシーを振る舞い、巡業の昼食は必ずカレーライス、朝食はいつもジャムを塗ったトーストとコーヒーという現代的な一面を持っていた。
  • 正月・誕生日・怪談祭りの時には大量の牛すじを調達し、長時間煮込んで醤油と日本酒で味付けしたものを振る舞っていた。特に正月に振る舞われる牛すじ煮込みは若手落語家から大評判だったという。
  • 円楽一門会所属の三遊亭好楽は元々彦六の弟子だった。彦六門下時代の名は「林家九蔵」。夭折した彦六の実の息子と本名が同じであったこともあって大層可愛がられた。なお九蔵は彦六に23回破門されている。
  • 弟子の林家正雀林家木久扇は彦六の物真似を得意としている。特に木久扇は持ちネタとして彦六の様々な逸話を物真似を交えて演じる新作落語「彦六伝」を度々演じており、震えた声で「馬鹿野郎、早く食わねぇからだ」・「このチョコレートには、種がある」と言うなどのネタは笑点の大喜利などでも時折披露されている。

関連タグ

落語


春風亭柳朝(惣領弟子)

林家木久扇(1961年に師匠の3代目桂三木助が死去したのに伴い彦六一門に移籍)

三遊亭好楽(旧名『林家九蔵』。彦六の死後、五代目三遊亭圓楽一門に移籍)

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