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三原じゅん子の編集履歴

2021-10-05 00:46:41 バージョン

三原じゅん子

みはらじゅんこ

三原じゅん子とは元女優の政治家。

人物

1964年9月13日生、東京都出身。本名は下の名前が「順子」表記で、芸能人時代の初期も本名表記で活動。現在は本名が現夫の姓である中根。

小学生の時から劇団に所属し、中学生でTVドラマデビュー。


1979年(昭和54年)、『3年B組金八先生』に出演、ツッパリ少女「山田麗子」役を演じ「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」の台詞で有名になった。このドラマで担任教師役だった武田鉄矢とはその後も交流がある。

その他にも電子戦隊デンジマン太陽戦隊サンバルカンでのゲストキャラクター役なども務めた。

明治大学付属中野高等学校定時制高校に入学したものの間もなく中退、この時期頃から暫く歌手活動も行っており、1982年には紅白歌合戦に出場した(曲は「ホンキでLove me Good!! 」)


20代から30代までの間にはカーレーサーとして活動しており、グループAやスーパー耐久、スパ・フランコルシャン24時間などのいわゆる『箱車』レースに参戦していた。また二輪の8耐でも監督を務めていたこともある。


かつては血の気の多い一面もあり、自身のスキャンダルを狙っていた写真週刊誌フライデー」のカメラマンに激頏してマウントポジションをとりフルボッコにして逮捕されたことがある(和解成立により起訴猶予処分)。


私生活では2度の離婚(最初の夫がレーサーの松永雅博、二番目がお笑い芸人のコアラ)を経験し、結婚生活中に流産の憂き目に合うなどもしている。

2008年に子宮頸癌に罹患して子宮摘出で子を望めない体となり、実父の介護も必要となるなど波乱が続いた。また自ら介護施設の経営にも乗り出し、これらの経験から医療や介護問題への関心を強めるようになり政治家転身を志すようになり野田聖子の仲介で自民党入りし、2010年参議院選挙で初出馬。この際芸能活動と政治家は両立が困難として女優引退を表明した。


当初は党側にもあまり期待されていなかったというが、女優の知名度にあぐらをかくことなく徹底したドブ板選挙で党内5位の得票数をもぎ取って当選し、以降は党内でも評価が一転し順調に役職を得ている。

2016年に、24歳年下の元秘書の男性と再々婚。


2020年の総裁選では菅義偉を支援、菅内閣で厚生労働省副大臣に任命。


政治的主張は外国人参政権反対・靖国神社参拝を推進等保守色が強いが、上記の経験からがん患者やがん検診への公的支援推進、介護職への待遇改善など福祉の拡充も主張しており、医療関係の主張は同じ自民党の山谷えり子(子宮頸癌ワクチン接種や性教育に否定的)と主張が異なる部分もある。リベンジポルノ法案の取りまとめ役でもあった。

党内では宮川典子と特に仲が良く、病気を隠していた彼女の異変に唯一気がついていた。

福祉や医療系以外では、オートバイ議連にも参加している。


ニコニコ動画ではその演説を賞賛され、「ハマーン様」という二つ名を奉られた。ただし、作者の富野由悠季はハマーンのような独裁者に扇動される大衆を批判的に描いているので、深読みすれば一種の皮肉であると解釈できなくもない。

女優としての主な出演作

TVドラマ



関連イラスト

【イメレス】やるなら


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自由民主党 女優

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