海舟は号で、名は義邦(明治維新後は安芳)。
江戸で下級幕臣の長男に生まれる。
黒船の来航後、老中阿部正弘や海防掛大久保忠寛の知遇を得て長崎海軍伝習所に入る。
1860年に幕府遣米使節団の一員として渡米。帰国後、軍艦奉行となり神戸で海軍操練所を設立した。この時期に坂本龍馬や西郷隆盛らと知り合っている。
その後一時職を退いていたが、戊辰戦争が始まり官軍(薩長主体の明治政府軍)が江戸に迫ると旧幕府側を代表して西郷と交渉し江戸無血開城を成し遂げた。
維新後は明治政府で参議・海軍卿等を務めた。晩年には徳川家の名誉回復と幕臣の再就職の世話に尽力している。
ちなみに、父親の勝小吉は不良旗本として有名であり、関所破りや道場破りの常習犯で江戸のみならず関東各地で悪名を馳せた。就職を嫌い、まだ3歳の息子(後の勝海舟)に家督を譲ろうとしたなど、逸話の多い快人物である。