国鉄が設計・新製した交流電気機関車、1968年から70年まで1次型、73年に2次型が製造された。
いわゆる1968年のヨン・サン・トウダイヤ改正で奥羽本線山形-福島間が交流電化され、福島-米沢間や仙山線の作並駅以西の直流電化区間も交流に変更された。しかし急勾配である福島-米沢間の板谷峠区間ではED78の重連では力不足のため、その補機として製造された大出力のF型交流電機である。
「津軽」に代表される急行列車や普通列車・貨物列車のほか、寝台特急「あけぼの」の牽引など広汎に使用されたほか、気動車特急時代のつばさで補機を務めた。
国鉄分割民営化に際してはED78とともにJR東日本に承継されたが、客車夜行列車や貨物列車の削減・廃止で本来の運用が減り、末期の板谷峠越え普通列車運用では、わずか2・3両ほどの短編成客車列車を大出力の本形式が牽引する姿が見られた。
1992年の山形新幹線開業後、この区間の客車列車や貨物列車は全て廃止され、役目を失った本形式は板谷峠用に特化した性能が災いして他の路線への転用も行われず1993年に全車が除籍され形式消滅した。
1号機がJR東日本新幹線車両センター(宮城県宮城郡利府町)敷地内にて静態保存されている。