概要
北方領土とは、北海道の北東に連なる歯舞群島(はぼまいぐんとう)、色丹島(しこたんとう)、国後島(くなしりとう)、択捉島(えとろふとう)の4つの島々(北方四島)を指す。広義においては第二次世界大戦後まで日本が領有していた南樺太・千島列島の全域を指す場合もある。
北方四島
北海道根室半島の納沙布岬(のさっぷみさき)の沖合3.7kmから北東方に点在する小島嶼、すなわち貝殻島(かいがらじま)、水晶島(すいしょうとう)、秋勇留島(あきゆりとう)、勇留島(ゆりとう)、志発島(しぼつとう)、多楽島(たらくとう)等の島々から成り立つ。
歯舞群島の北東方22kmに位置する。正確にはここも歯舞群島の一部である。
根室半島と知床半島との中間、北海道本島の沖合16kmの地点から北東方に位置する全長122kmの島である。
国後島の北東方22.5kmに位置する全長204kmの島である。北方領土の中では最大であり、日本の離島の中では最大である。
※歯舞群島と色丹島は、大昔、根室半島と地続きであったが、土地の陥没などによって離れ島になったといわれている。
沿革
日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立した。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島(択捉島の隣島)より南にまで及んだことは一度もなかった。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものであり、それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはない。
北方領土問題
発生の経緯
時は第二次世界大戦中に遡る。
1941年4月25日、日本とソビエト連邦(ソ連)は日ソ中立条約を結んだが6月22日に独ソ戦争が勃発。
時の日本政府は7月2日の御前会議にて「情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱」を採択した。
これは独ソ戦がドイツ側有利に進展した場合、ソ連への侵攻を行うという物が含まれる。
7月7日にはこれに基づいて関東軍特種演習(関特演)と称した作戦準備行動の動員令が下り、70万人の大兵力を満州に集中させた。
この行為は明白な中立違反であり、ソ連の極東軍の釘付けという結果を招いた。
そして大戦末期の1945年8月9日、ソ連は先の関特演による日本側の条約違反を根拠に条約を破棄し対日参戦。
日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に、当時日本領であった南樺太や千島列島のすべてを占領し1946年に四島を自国領に編入した。
1949年までにすべての日本人を強制退去させ今日に至るまでソ連、そしてその後継国であるロシアによる実効支配が続いている。
戦後、1952年4月28日に発効されたサンフランシスコ平和条約では日本側は千島列島の領有権を放棄した。
なお、締結当時の日本政府は北方四島の内、国後島と択捉島は千島列島に含まれると答弁している。
また1869年に制定された律令国の千島国は両島から構成されていたし地質学上も千島列島に含まれる。
しかし、1956年2月11日に突如日本政府側は発言を覆して国後島と択捉島は千島列島に含まれないと答弁し始めた。
この日本側の変節は日ソ関係の改善を望まないアメリカによる圧力によるものとされる。
1956年12月12日には日ソ共同宣言が発効され平和条約締結時に歯舞群島、色丹島を日本側に引き渡すことが取り決められた。
しかし、共同宣言から60年以上を経たにもかかわらず、いまだ肝心の平和条約が締結されていない。
日本政府の基本的な立場
(1)北方領土は、ロシアによる不法占拠が続いているが日本固有の領土であり、この点については、例えばアメリカ合衆国政府も一貫して日本の立場を支持している。政府は、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するという基本的方針に基づいて、ロシア政府との間で強い意思をもって交渉を行っている。
(2)北方領土問題の解決に当たって、我が国としては、1)北方領土の日本への帰属が確認されるのであれば、実際の返還の時期及び態様については、柔軟に対応する、2)北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益及び希望は、北方領土返還後も十分尊重していくこととしている。
(3)我が国固有の領土である北方領土に対するロシアによる不法占拠が続いている状況の中で、第三国の民間人が当該地域で経済活動を行うことを含め、北方領土においてあたかもロシア側の『管轄権』に服したかのごとき行いを為すこと、または、あたかも北方領土に対するロシアの『管轄権』を前提としたかのごとき行いを為すこと等は、北方領土問題に対する我が国の立場と相容れず、容認できない。従って、日本政府は、広く日本国民に対して、1989年(平成元年)の閣議了解で、北方領土問題の解決までの間、ロシアの不法占拠下にある北方領土に入域しないよう要請している。
(4)また、政府は、第三国国民がロシアの査証を取得した上で北方四島へ入域する、または第三国企業が北方領土において経済活動を行っているという情報に接した場合、従来から、しかるべく事実関係を確認の上、申し入れを行っている。
2000年代後半からのプーチンブームにより、北方領土返還交渉を期待して「主権を有する領土」という弱い表現に変更されていた。
2014年ウクライナ危機後もこの状況は続き、2019年の5月11日には日本維新の会の丸山穂高衆議院議員が「戦争で島を取り返すことには賛成ですか、反対ですか」「戦争しないとどうしようもないじゃないですか」と等と発言したことは問題になった。
だが2022年のウクライナ侵攻を受けて日露関係は悪化。
岸田総理はそれまで「主権を有する領土」と弱い表現だったのを「ロシアによって不法占拠を受けている日本固有の領土」と強い表現に変更した。
関連タグ
2月7日 - 北方領土の日 ※メイン画像
日本共産党 - 千島列島全域の領有権を主張している。
シンオウ地方 - ポケットモンスターダイヤモンド・パールの舞台で、北海道地域がモデル。国後島西部に相当する場所がこの地方に含まれており、ポケモンリーグの開催場所となっている。