概要
東南アジアのインドシナ半島西部に位置する国家であり、正式名称はミャンマー連邦共和国。かつての国名はビルマ連邦であった。西側をインドおよびバングラデシュと接しており、東側は南部でタイと、北部で中国と接している。
独立以来、長く軍事政権時代が続き、一時期は社会主義国家としても機能していた。
その後、アウンサンスー・チーの活躍の結果、2010年代に入って民主化を始めたが、2021年2月1日にクーデターが勃発。
2021年5月現在は、再び軍部によって政治中枢が支配された状況であり、政情不安定の状況となっている。
また、他国の中にはアメリカ合衆国や欧州諸国など軍事政権が民意を無視して行った改名である(実際、反軍政派は当初この改名を認めなかった)として、国名や地名の変更を認めていない国も存在する。
首都は1885年より2006年まではヤンゴン。旧名をラングーンと言い、南部のエーヤワディー川がアンダマン海と合流するデルタ地帯に存在する。2006年以降は首都移転したため、最大都市となっている。
2006年以降の首都はネピドー。
首都移転に際しては内陸部に位置する立地に新たに作られており、移転の理由に関しては複数の説がささやかされている。
歴史
1948年にイギリスより独立、1989年までビルマと呼ばれていた。
ビルマは1886年にイギリスとの間で勃発した英緬戦争の結果、イギリスに侵略・統治されることになる。
その後、日露戦争の勃発によって日本がロシアに勝利したことでイギリスからの独立を望む機運が高まるようになり、第二次世界大戦時にアウンサン将軍の指導の下、日本の力を借りて傀儡ではあるが独立し、傀儡国家からの脱却のために日本を裏切り、イギリス軍の支配下に入る。
しかし、イギリスは完全独立を許さなかったため、再度イギリスと戦い、1948年に独立するも、その時期にアウンサン将軍は暗殺されてしまい、軍部主導の元の政権運営が始まる。
その後、1962年にネーウィンによる軍部クーデターが行われ、ネーウィンによるビルマ社会主義計画党によるネーウィンの独裁政権が始まり、1974年に国名をビルマ連邦社会主義共和国と改名する。
しかし、1988年に民衆の民主化運動によりネーウィン体制は崩壊し、この時期からアウンサンスー・チー女史が活動を開始するが、これを危惧したミャンマー国軍がクーデターを起こして軍事政権を開始し、スー・チー女史を軟禁し、国名をミャンマー連邦に改名した。
その後、2010年11月に新憲法に基づく大統領選挙が実施され、大統領選挙の終了直後にスー・チー女史の自宅軟禁が解除され、新たにテイン・セインが大統領に就任する。
この時期、テイン・セイン大統領主導の元、ミャンマーの民主化が進行し、それに押される形でミャンマーの経済振興が始まる。
そして、2015年には、スー・チー女史率いるNLDが政党として再び大統領選挙に進出し、圧勝するものの、軍部主導の元制定された新憲法により、スー・チー女史は大統領に就任できなかった為、新たにその上の役職である国家顧問という役職を制定し、国家顧問に就任する。
2020年には再度スー・チー女史が大統領選挙に圧勝するものの、その後軍部によるクーデターが勃発し、再びスー・チー女史は軟禁され、軍部による独裁状態が勃発する。
民族
ミャンマーは多民族国家であり、多数派であるビルマ族(モンゴロイドであり、ビルマ語を話す、宗教は上座部仏教)の他、多くの民族が存在しており、北部(カチン独立機構)や北東部(ビルマ共産党の流れを引くワ州連合軍)、南東部(カレン民族同盟)などでは紛争が絶えない。
ちなみにビルマ族は姓がなく、名前のみで人命を表す。有名なアウンサンスーチー女史は、「アウンサン」が姓、「スーチー」が名と誤解されがちであるが、父であるアウンサン将軍の名前に、先祖からちなんだ名前を組み合わせており、アウンサンスー・チーと言う名前全体で一つの名前である。
また、多民族国家であるがゆえに、ロヒンギャ問題などの民族問題も起こっている。
アウンサンスーチー
現代ミャンマーを語る上では絶対に欠かせない人物。
彼女は、ミャンマー独立、および建国の立役者であるアウン・サン将軍の娘。
しかし、アウン・サン将軍はミャンマーの独立を果たしたのちに、6人の閣僚とともに暗殺される。
その後、インド、イギリスにて留学・生活を行っていたが、1980年代末期より非暴力不服従を軸にした民主化運動を開始し、国内外の世論に押された形で軍事政権が民主化に応じたことで、新政党であるNLDを組織し、大統領選挙に臨み圧倒的勝利の元大統領に選出されるものの、軍事政権の弾圧によって選挙自体が無効化される。
その後、当時の軍事政権によって自宅軟禁され続け、なおも主張を曲げなかったことで、1991年にノーベル賞受賞する。
その後、軍事政権によって定められた憲法によって配偶者が外国人の場合は大統領就任は認められないという憲法を制定した為、夫がイギリス人であり、子供がイギリス籍であるため、スー・チー女子の大統領就任が認められることはほぼなくなった。
そんな中、2015年に圧倒的な勝利を収めたことで大統領に選出されるも、先の憲法での規定により大統領に就任できなかった為、新たに国家顧問と言う大統領よりも上の役職を作ることで、その役職に就任する。
任期終了後、再び大統領選挙で勝利し、2021年以降も大統領に選出されることになったが、2021年2月1日に勃発したクーデターによって再び軍部に拘束される。
国土
気候は亜熱帯あるいは熱帯であるが、山岳地帯である北部とそうではない南部では大幅に気候は異なる。
この国の南北間には交通が存在するものの、大河が存在しているため東西間は分断された状況にある。