戦火のウマ娘
せんかのうまむすめ
注意
2021年11月10日の規約改定により、「ウマ娘の二次創作」の制作が公式から認められるとともに、「ウマ娘」という作品や、元となるアスリート(競走馬)のイメージに影響する二次創作がこれまで以上に明確に規制されることとなった。
ウマ娘/馬と戦争
まず
「プリティーダービー」の作中では、こちらの世界のいわゆる四本足の馬は存在しないことになっている。
実際、作中では「馬」の漢字の下部の点を2つにして二本足であることを強調したデザインとなっており、こちらの世界の馬に相当する動物も登場しない。
しかし
人類が馬を家畜化して以来、馬は戦争と密接に関わってきた生き物である。
中国四千年の歴史は同時に羌族や匈奴を始めとする機動力に長けた遊牧騎馬民族との果てしない戦いの歴史であり、優秀な騎馬兵を揃えた勢力はその圧倒的軍事力を以て天下を平定することもザラにあった。戦国七雄を並べて飲み込んだ秦、続く漢が西域各国から騎馬を取り入れて品種改良を重ねた結果、漢人文化圏の戦いにおいても騎兵の価値は極めて高く評価されるようになり、三国時代などは馬中の赤兎馬人中の呂布と同等横並びで語られたほどである。(なおこの呂布を遊牧民族の出自と見る動きもある)
西洋に目を向けると古代の戦争では戦士のチャリオットを引き、中世では騎士階級が戦の花形として語り継がれるようになった。騎兵による突撃が戦場の華であったのも、騎馬が歩兵の戦列を食い破るのに一番適していたからであるし、かつてのフン族やモンゴル帝国がユーラシア一円に勢力を広げたのも、彼らが生まれながらの精強な騎兵だったからであった。
(なお、洋の東西を問わず鞍と鐙が開発されたのは騎馬の登場よりかなり遅れた時点とされており、これが遊牧騎馬民族と平地定住民族との埋めきれない戦力差を育んだと言われている。何せ激揺れする馬上に鎮座し両足の挟力のみで全身の姿勢を支えつつ手綱を手放して弓を絞り正確に射止めるなんて神がかった芸当は、幼少期から馬に接していなければ到底身につかないからである)
また自動車の開発と製造ラインが整い戦争の機械化が進むまで、重い大砲を引いて移動するのは屈強な輓馬の仕事であったし、前線まで補給物資を運ぶのも、輜重隊の駄馬や荷馬車の仕事であった。
このようにして、馬は人間の戦争に大きな影響を与え、強い軍隊を作り戦争に勝つために、強力な兵站を支えるために、歴代の列強諸国が馬の品種改良に熱を上げていたこともあったのである。
そして
ウマ娘が有名になるにつれ、この世界でも、ウマ娘は戦争に関わっていたのではないか?という創作作品が出始めるようになった。
そのような作品につけられるのが、このタグである。
関連イラスト
作成時点では、ウマ娘がミリタリーコスなどをしてるイラストが多い。
この世界での騎兵は、もしかしたらこうだったのかも・・・・。
また、初代三冠馬のセントライトが誕生・三冠を達成したのがまさに第二次世界大戦真っ只中であり、セントライト自身も軍馬として徴用される可能性もあったことから、それを踏まえた作品も投稿されている。
ちなみに
競走馬から軍馬に転身した馬は、少ないながらも何頭か確認されている。
以下有名な例
コペンハーゲン(牡 栗毛 軽半血種)
英国初代ウェリントン公アーサー・ウェルズリーの愛馬。
2歳のころに10戦し、何回か勝利を挙げたとされる。
その後、ウェリントン公に売却され、彼の乗馬となった。
軍馬となった後は、主人を背にワーテルローの戦いなどに参加。
小柄ながら恐るべき体力の持ち主で、ワーテルローの戦いでは、主人を背に二日間ほとんど休みなしで駆けまわっていたという。
カイソウ(牡 栗毛 サラブレッド系種)
1941年生まれの北海道産馬であり、1944年のダービー覇者。
1944年、戦争の為東京能力検定競走として行われたダービーを5馬身差で勝利するも、二冠目の長距離特殊競走(菊花賞)はコース間違いがあったため競走不成立となってしまう。
その後は何戦か競走するものの敗北。そのままセリ位置に上場され、陸軍に落札されたという。
名古屋の第13方面軍に配属され、司令官である岡田資中将の乗馬になったと言われているが、名古屋空襲のさなかに厩舎から飛び出し、消息不明になったとされている。