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ソドム百二十日の編集履歴

2012-06-28 14:09:00 バージョン

ソドム百二十日

そどむひゃくにじゅうにち

サディストの語源となったマルキ・ド・サド伯爵(1740年6月2日 - 1814年12月2日)がフランス革命時に貴族側に就いた貴族としてバスティーユ監獄投獄された際に執筆、のちの変態小説の元祖となった罪深い小説 全ての変態の神小説となった 書いていいものと悪いものがある ウンコ祭り ウンコ万歳

ソドム百二十日あるいは淫蕩学校(Les Cent Vingt Journées de Sodome ou l’École du libertinage)とは、マルキ・ド・サド伯爵により記述された小説(ただし未完)である。

概要

 この小説日記の形で記述されている。

舞台18世紀のはじめごろ、ドイツ南西部において4人のフランス人

貴族が複数人の奴隷そのほかと暮らしている。貴族は倒錯した物語を語り、時にはそれを奴隷に行っていく。

記述された状況

 この小説マルキ・ド・サドバスティーユ牢獄において執筆していた。しかし、彼はこの小説執筆中に精神病院に叩き込まれたため、草稿は彼の手元から失われた。このとき彼は「血涙を流した」といわれているが、見たものがいないため、定かではない。また、このような状況では記憶を元に作品を復元を試みる可能性があるが、それをしていないのは、「自分の想像力を超えたものを表現することが出来なかったため、復元を断念した」であるとか、「あまりの執筆量の膨大さにどうしようもなくなった」であるとか、「牢獄の中で行ったエロ妄想をわざわざ復元する必要は無い」といった理由であるとされる。

 なお、この草稿は発見され、20世紀に出版されたものの、この草稿が一般に公開されたのは21世紀のことである。

この作品に関する色々

この小説は各種の評価がされている。たとえば、「性的趣向の科学的分類」であるとか、「不潔なポルノ」であるとか、「道徳的なポルノ」であるとか、「人間の性善の風刺的回答」とかあと色々。

ただし、これらの評価は実はすべてが考えすぎで「ぼくのかんがえたすごいえろもうそう」の可能性も否定できない。

また、この作品を元として映画を撮影したつわものも存在するが、さすがに完全に再現することは不可能であったといわれている。

なお、日本にこの作品を紹介したのは澁澤龍彦である。

pixivにおけるタグに関して

このタグをつけられた作品の多数が黒執事Ⅱアロイス・トランシーのイラストである。

この本の内容

時はルイ14世時代のフランス、ある3人の裕福な男の城での所業書くという形で記されている。3人の男たちと召使などは14人の拉致された美少年美少女との『乱痴気騒ぎ』を起こす、そこで繰り広げられているのは美少年美少女(一番若いのは13歳の少年)の3人の男への変態的な拒めばむごたらしい死の罰の服従 同性愛の強制・SM性器切断拷問水責め灌腸スカトロアナルセックスフェラチオなどの状況を記す。(らしい)最終的に美少年美少女拷問あいながら無様に男たちの性欲の足しになりながら死に果てる。(そして未完)

映画版パゾリーニ監督『ソドムの市

パゾリーニ監督で1976年にこの本を素材とし『ソドムの市』を制作、この映画ではスカトロ重視であったところが多く、他の項に載っている『残虐的性的行為』はキリスト教的にも問題だったっだろう、できなかったという。作中に登場する青年女性はほぼ全裸であるが(美男美女ともいい難いが)

パゾリーニ監督の斬殺

パゾリーニ監督自体はこの作品を撮り終えた数年後主演俳優に斬殺されるという事件が起こる。 その青年俳優の犯行理由としては『同性の性的行為を強制された』などだそうだ。監督は数十回車にひかれ、ミンチにされた状態で見つかった。


『同性の性的行為を強制された』というが、その作品が『変態小説の元祖となった罪深い小説』が理解できていなかったのだろうか...恐ろしいことに、妥協せずに作ればあんなものではすまないらしいというのに....


もちろんカトリック圏(ヨーロッパ)でも異端的過ぎると思われ上映禁止が相次いだ、最近になってようやく再評価されるようになってきたという。


ローマ皇帝ぐらいならなんとも思わないかもしれないな

外部リンク

wikipediaの該当項目

おそらくこれ(Wikiソースフランス語版)

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