概要
もとはイギリス軍からパリを守る砦として作られ、ルイ13世のとき牢獄になり、王政に反対する人が多く収容された。
ルイ16世の治世の時代、当時のフランスの財政難を打開するために開かれた意見交換会である全国三部会では、圧倒的多数であるはずの第三身分(平民)の議員の主張は一切通らず、第一身分(僧侶・聖職者)と第二身分(貴族)に押さえつけられるばかりであった。
僧や貴族のいいなりの政治を嫌った第三身分の議員達は自分達だけで「国民議会」を開こうとした。
この国民議会に対し国王や貴族は軍隊の力で圧力をかけ、市民の不満が爆発し、ついに多くの市民がバスティーユ牢獄に押し寄せた。
バスティーユ牢獄は、フランス国民を苦しめる絶対王政のシンボルだったのである。
1789年7月14日、バスティーユ牢獄は市民の手におち、フランス革命が始まった。